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原爆の日 核抑止力の確保に努めよ


 広島はきょう、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。1945年8月6日、広島に世界で初めて原子爆弾が投下され、一瞬にして街は壊滅し、10万余の人々の命が奪われた。多量の放射線を浴び、多くの人々がその後遺症に苦しみながら戦後を生き抜かねばならなかった。否過去の話ではなく、今なおその病と闘っている人々がいることも忘れてはならない。

 戦争を抑制する機能

 同時に、われわれは核という大量破壊兵器が戦争を抑止する力を持つことも正しく理解する必要がある。核兵器はそれまでの兵器とは比較にならぬほどの強大な破壊力を持つが、逆にそれを実際に使用した際の被害の甚大さ故に、戦争を抑制する機能を帯びることになった。

 限定的な地域紛争も、それが大国間の対立を招き核戦争にエスカレートする危険が常に存在するため、戦争の極大化を防ぐ努力がなされてきた。その結果、全ての戦争がなくなったわけではないが、広島、長崎以後、世界大戦のような大規模戦争は一度も起きていない。核兵器が持つ戦争抑止の効果によるものである。

 国連総会の諮問を受け、国際司法裁判所が96年に下した勧告的意見は「核兵器による威嚇または使用は、国際人道法の原則に一般的には違反するであろう」とその違法性を指摘したが、同時に「国際法の現状や裁判所が確認した事実に照らすと、国家の存亡そのものが危険にさらされるような極限状況での自衛権としての核兵器の威嚇または使用が合法か違法かについては最終的な結論を下すことができない」との留保が付された。核兵器の持つ抑止力が、大規模戦争を防ぐ力として機能している現実を考慮したものと言える。

 76年前のあの朝、原爆を搭載した米軍B29爆撃機が広島上空に侵入した際、迎撃するために飛び立った日本の戦闘機は一機もなかった。もはや日本に戦争を継続する力のないことが明らかであったにもかかわらず原子爆弾が投じられ、何の罪もない一般市民が犠牲となった。

 こうした戦争の非情さを、日本は体験したのだ。戦後制定された日本国憲法はその前文で、恒久平和を念願する日本国民は、自らの安全と生存を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に託すと宣したが、近隣の国を眺めても平和を希求する国ばかりでないことは明らかだ。

 戦争は兵器が始めるのではなく、兵器を使う人間が始めるものだ。軍縮は国際平和の実現を目指す重要な施策ではあるが、兵器を廃絶するだけでは戦争がなくならないことを、また侵略、威嚇を阻止し得る力を持たない国が、如何(いか)に悲惨な結末を迎えることになるかを、これまでの歴史が物語っている。

 日米同盟でわが国を守れ

 きょうは、原爆に倒れた人々に哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、今も変わることがない冷厳な国際政治の現実を見詰め直す日としたい。

 そして、わが国の独立と国民の生命を守り、世界の平和と安定を実現するためにも、日米同盟を堅持し、適切な核抑止力の確保に努める必要があることを改めて認識すべきである。