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年頭にあたって メディアは至高の「預言者」たらん


本紙主幹・黒木正博

 2020年は、コロナに明けコロナに暮れた一年だった。いや、現実は本年をまたいで新型コロナウイルスの猛威は未(いま)だ収束が見えないでいる。

 昨年はこうしたコロナ禍をどう捉え、対応していくか、これをめぐる議論は国際的システムをはじめとして国家から社会、個人に至るまでその保健や経済活動や生活のあり方を問い直すものだった。予想以上に長期戦を余儀なくされた新型ウイルスとの戦いだが、それだけに疫病対策の次元にとどまらない人類共通の価値観を立て直す取り組みが一方で不可欠なのではないか。

世俗の利害超えた仕組み

 世界的なグローバル化で貿易、経済が拡大し、国境を超えた人的交流など文明の恩恵が大きく進む一方で、人種差別、少数民族の弾圧、人権抑圧、さらに環境、貧困問題などが事実上放置され、あるいは遅々として進まない現状にある。

 こうした高度な文明化と、人の本来のあり方とのギャップ、矛盾が顕著に現れたのが今日ではないか。まさにコロナ禍を通してこれが白日の下にさらされる中、人類の一致した真剣な取り組みが求められたのではないか。

 しかし、本来、これに対応するはずの既存の国連機関は、コロナ対策で半ば機能不全に陥った世界保健機関(WHO)に象徴されるように、まさに「人知」だけでは解決できない現状にある。これは、昨年秋の国連総会はオンラインでの首脳演説が行われたものの、地球的視野における建設的なビジョンはなく、ほとんど自国の利害を中心とする言説に終始したことにも表れる。

 国連のような機能はもとより重要だ。政治家のみならず、そうした「俗」から一歩離れた聖賢、例えば学者・文化人はじめ各宗教会派の重鎮による諮問機関的な役割が必要といえよう。

 もちろん、これは容易ではない。ただでさえまとまらない議論をよけいに複雑化させるものではないかという懸念ももっともだろう。だが、そうした「知見」を一堂に集め、世俗の利害を超えたコンセンサスを得る上で、人類共通の取り組みを本格的に始動させるべきである。最近、イスラエルとアラブ諸国との国交樹立が進んでいるのも、「宗」と「俗」の融和を後押しする動きの一環ともいえる。

 そうした構想実現にメディアが果たす役割は大きなものがあると考える。メディア(media)は「仲介者」「媒介者」が語源だが、初期には、情報の仲介者、すなわち神と人とを「媒介」する人に対して用いられたという。その意味では「聖」と「俗」を繋(つな)ぐ重要な存在だ。聖書ではこの役割を果たしたのが天意を告げる「預言者」だった。

 とはいえ、「第4権力」といわれて久しいマスメディアに対する信頼は近年とみに厳しさを増している。最近の事象では、昨秋の米大統領選挙に関する一連の報道だろう。現時点ではまだ選挙結果は公式に確定していない。同選挙では、大がかりで組織的な不正投票への疑惑追及が依然として根強い。

 しかし、米国および日本の主要メディアは「バイデン次期政権」を既成事実化してほとんどこの本質的な問題については無視しているのが現状だ。選挙結果の混乱が異例とはいえ、マスメディアがこうした究明を事実上怠っているのは由々しきことだ。まさに「言論が堕落したところでは精神も堕落している」(セネカ=ローマ帝国の政治家、哲学者)であろう。

ポストコロナを見据えて

 これと関連してメディアは「ポスト・コロナ」を見据えて何を念頭に置くべきだろうか。それを暗示しているのが、昨年7月のポンぺオ米国務長官の「共産中国と自由世界の未来」と題する演説である。そのポイントは「中国共産党政権がマルクス・レーニン主義政権であることを忘れてはならない。習近平総書記は、破綻した全体主義思想の真の信奉者なのだ。習氏が何十年も前から中国共産主義の世界的覇権を追求してきた背景には、まさにこの思想がある。中国共産党は、国家間の基本的な政治的思想的違いを無視してきたが、米国がこの違いを看過することはもはや許されない」。

 そして「自由世界が変わらなければ、共産中国が私たちを変える」と警告している。これは米大統領選挙の最終的な結果にかかわらず、人類共通の課題といえないか。メディアはその本来の語源にふさわしく「預言者」たるべきを果たさなければならないと自戒したい。