党の始まり触れない談話 共産党創立100年の「赤旗」

革命のイメージ(Image by Flore W from Pixabay )
革命のイメージ(Image by Flore W from Pixabay )

参院選集票は最低レベルに

共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(7・15)は、1面に「日本共産党きょう創立100年/党の歴史は今に生きる力発揮している」(見出し)の記事を掲載し、党創立100年の志位和夫委員長談話全文を3面で、14日の同談話に関する志位氏記者会見一問一答などを2面で扱った。

1面記事では、志位氏が会見で語った四つの角度として「第一は、日本国憲法に実った戦前のたたかい」「第二は、どんな国であれ覇権主義を許さないたたかい」「第三は、国民の共同の力で社会変革を進めるという立場」「第四は、日本共産党が、社会変革の大目標として、社会主義・共産主義の実現を掲げ続けてきたこと」を強調している。

ここで語らないのは、100年前の結党の経緯・由来だ。企業や学校でも歴史ある記念行事なら、いかなる精神でいかに始まったかが最もアピールされるところだが、これに全く触れていない。日本共産党は、ロシア革命(1917年)で帝政を倒したソ連の指導者レーニンが1919年に設立したコミンテルン(国際共産党)の日本支部として1922年にできた党だ。

戦前の「赤旗(せっき)」にはコミンテルン礼賛やプロレタリア独裁などのスローガンも目立つ。皇帝を退位したニコライ2世一家を処刑した革命を手本とし、君主制反対で天皇制廃止を訴え、非合法となった。

無論、当時の共産党の「たたかい」が日本国憲法に実ったのではなく、日本が戦争に敗れ、日本を占領した米国が日本国憲法をもたらした。むしろ、当時の共産党は日本国憲法に反対し、天皇のない「人民共和国」に日本をする「日本人民共和国憲法」を提案している。100年の党史を記念するなら、志位氏は米国の指導で制定された日本国憲法より、日本共産党の日本人民共和国憲法を語るべきだろう。

「第二」の「覇権主義を許さないたたかい」の中で、「1950年に、旧ソ連のスターリンなどによって、日本共産党に対する乱暴な干渉が行われ、党が分裂するという事態が起こった」と旧ソ連を批判。また「1960年代には、旧ソ連と中国・毛沢東派の双方から無法な覇権主義の干渉が行われ」たと批判している。が、「干渉」とは本部が支部に対して行う業務命令のようなものだ。

コミンテルン日本支部という経緯に触れていないので、「旧ソ連」「中国」が出てくるのも唐突だが、1950年にコミンテルンの後身に相当する各国共産党の連絡機関・コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)が、平和的に革命ができると考えるなと日本共産党を批判したのを受け、当時の共産党トップの徳田球一書記長らが軍事方針を決定した。共産党は中核自衛隊などを組織し、全国で暴力事件を起こした。

そのピークが血のメーデー事件で、破壊活動防止法制定の契機となった。同法により共産党による暴力事件は漸減したが、これに飽き足らない共産主義者は共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟など別の過激な共産主義団体を結成して学生運動を主導していった。反安保闘争に始まる60年代以降の左翼学生運動では暴力事件が頻発している。一方で、共産党が議会主義、「自主独立路線」を取ったのは、内乱や外患誘致を罰する破防法が余儀なくしたとも考えられよう。

「第三」では野党共闘の実現で「反共の壁が崩れた」と豪語するが、その最中の参院選で比例区361万票と2010年以来の最低レベルだった。「第四」で今後も共産主義を目指すと言うが、支持離れは100年以上もこだわる共産主義そのものにあるのではないか。