トップオピニオンViewpoint今必要なコミュニケーション能力 分断乗り越え一体感醸成を 社会変革へ国民運動起こせ【ビューポイント】

今必要なコミュニケーション能力 分断乗り越え一体感醸成を 社会変革へ国民運動起こせ【ビューポイント】

元衆議院議員 大泉 博子

 昨年の夏は米価が高いと騒ぎ、今年は値下がりすると騒いでいる。物価対策の目玉だった食料品の消費税ゼロは、今国会での成立はかなわなかった。人々は遠距離武器を使った新たな戦争をマスメディアで毎日見せられ、「分断」「二極化」がキーワードの社会で、幸福感を味わえない日々を過ごす。終戦後81年の日を迎えたこの8月、平和という言葉が蝕(むしば)まれているような気がしてならない。一体日本に日常的な平和は訪れるのだろうか。

顕在化した社会の階層

 失われた30年の間に、いわゆる中産階級が下方に押しやられた階層と、株などでもうけた一部の高額所得層との間に分断が起きている。1970年代・80年代の日本を思い起こせば、9割の人が中産階級意識を持ち、日本人は平等だと思っていた時期もあった。だが、その実は、教育の平等も、階級の無い平等も、真実ではなかった。

 苅谷剛彦著「不平等と教育」によれば、教育の平等も現実は学校のブランドによる階層化であり、階級という言葉を使わない日本社会の世代で固定化した階層は、「平等」と謳(うた)われた時代にも厳として存在していたという。その階層が顕在化したのが、今の社会である。つまり、分断も二極化も今始まったのではないということだ。「誰もが平等」は、幻想だったという。

 アメリカはもちろんのこと、日本も、二極化を元の平等意識のある中産階級(幻想かもしれぬが)に戻すことはできない。ならば、この社会をどうすべきなのか。二極化した階層間でコミュニケーションを密にし、日本という国の一体感を醸すしかあるまい。でなければ、南海トラフにも、戦争に巻き込まれる恐れにも、給付付き税額控除にも、国として一体的に取り組むことはできないではないか。

 為政者の思い入れで重要なことが決まってはならない。国民の間でも十分な議論が必要である。日本は、60年安保、70年代の大多数の大学を巻き込んだ全共闘運動の後は、日本赤軍のようなプロの革命運動はあっても、国民運動の高まりは殆(ほとん)ど観(み)られなかった。現在では、「親ガチャ」や「上級国民」の言葉に表される階層間の違和感があるにもかかわらず、自分の階層、置かれた状況を意識して、社会改革のための運動が起きる気配がない。不平等化が明白になっているのに、過去の平等幻想を抱き続けているのではないか。

 今の時代にやることは、コミュニケーション能力を以(もっ)て、社会の変革に繋(つな)げていくことである。フェイスブックなどに「いいね」を付けて終わらせるのではない。もっと主張し、もっと仲間を増やし、真に政治を動かすことだ。

 筆者が最近、識者から得た情報で、長年欧米社会からの圧力で制限されてきた捕鯨については、若い世代は鯨を食べたことがないために「日本の食文化の鯨肉を取り戻そう」という発想についてこないという。筆者のような団塊世代は、学校給食の一番人気が鯨の竜田揚げだったことを思うと残念でならない。筆者がオーストラリアに居住していたときに、オーストラリア人は、知識人までもそろって「頭のいい鯨を食べるのは非文明人」と主張していた。非科学的であっても、議論好きなアングロサクソンの子孫たちはそのコミュニケーション能力で、集団としての考えを創り出した。オーストラリア政府は関係ない。

国民議論で考え集約を

 これはコミュニケーション能力を語る悪例かもしれないが、しかし、日本人が守らねばならない社会を政府が守ってくれるとは限らないのだから、国民相互の議論の中で集約した考えを創っていく必要はあろう。戦後一貫した、国民に寄り添う天皇制が男系男子に限定されたり、総理の一言で日中関係が難しくなったりするのは、国民の議論が届かぬ証拠であり、国民のコミュニケーション能力にも疑問符が付されると敢(あ)えて主張したい。国益を考え社会の分断を乗り越えるためのコミュニケーション能力をわれわれは持つべきである。

(おおいずみ・ひろこ)

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »