トップオピニオン記者の視点毛沢東死去から半世紀 再び危惧される中国の左旋回 【記者の視点】

毛沢東死去から半世紀 再び危惧される中国の左旋回 【記者の視点】

中国の毛沢東主席(当時、左)と握手するニクソン米大統領(同、右)=1972年2月、北京(AFP時事)
中国の毛沢東主席(当時、左)と握手するニクソン米大統領(同、右)=1972年2月、北京(AFP時事)

 半世紀前の重陽の節句、1976年9月9日に中国建国の父、毛沢東が死去した。当時、大学新聞を編集していた筆者は毛死去のコラムを書いた覚えがある。

 安保闘争の頃、親中派の学生運動家が赤い小冊子の『毛沢東語録』を振りかざしていた残(ざん)滓(し)がまだあった時代だった。広島という地方都市でも、中国から派遣された演劇団が、農民が団結して地主をつるし上げる「革命劇」を上演していた。

 こうした教条的熱狂にはいぶかしさを感じたものの、毛死去後の鄧小平の登場や朱鎔基の敏腕ぶりには目を見張った。

 おかげで「台北でオートバイが走り、香港でベンツが走る中、北京では自転車の洪水」といった「貧しさの平等」を実現した中国共産党政権が、ダイナミックな経済成長に向けて走り始めた。2010年に国内総生産(GDP)で日本を抜き去ると、あっという間にその差を広げていった。

 だが米国に次ぐ世界ナンバー2の経済大国に躍り出た中国ながら、超大国になれるかというと極めて怪しい。その超大国への道を閉ざしているのは、習近平国家主席や共産党政権そのものだからだ。

 毛の失策は大躍進政策など多くあるが、中でも晩年打ち出した文化大革命は国土の疲弊に追い打ちをかけただけでなく、カンボジアのポル・ポトにも影響を与え、200万人ともされる大虐殺を引き起こすなど海外にも悲劇の種をまき散らした。

 中国共産党史を考える上で参考になるのが「紅専」史観だ。1949年に建国された中華人民共和国は、毛が主導した大躍進政策や文化大革命の混乱と疲弊の時代の30年を経て、鄧による「改革開放」時代の30年を迎えた。

 つまり、中国の現代史は共産主義化を急速に進めようとした毛の「紅」路線と、現実に即して経済の効率を高めようとした鄧の「専」路線に集約できる。建国の約60年後に登場した習氏の時代は「専」路線と決別し「紅」路線回帰が鮮明になりつつある。

 その典型例が「国進民退」路線だ。「国進民退」とは国有企業を優遇し民間企業縮小を図るもので「専」路線時代の「国退民進」とは対照を成すものだ。「改革開放」の果実は、創意工夫しやすく、環境に合わせて小回りが利く民間企業がおおむね得た。その民間企業の活力を奪い、大きいばかりで活力に乏しい国営企業に経営資源を投入するというのだから経済の先行きは怪しくなる。

 習氏は、失業者増大を伴う経済的困難に直面し、共産党政権の求心力が低下する中、引き締めと弾圧強化に動きだしている。行き着く先は、秘密警察が跳梁(ちょうりょう)跋(ばっ)扈(こ)する抑圧と恐怖による統治の再来だ。そして、求心力強化のために台湾併合というカードをいずれ切ってくる可能性がある。そうした中国の左旋回に、西側諸国は備える必要がある。

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