トップオピニオン記者の視点よみがえる武者小路実篤 精神史の中に位置付ける

よみがえる武者小路実篤 精神史の中に位置付ける

 作家の武者小路実篤が亡くなったのは1976年4月で、今年で没後50年。これを記念して、東京都調布市の武者小路実篤記念館でさまざまな企画展が進行中だ。

 実篤を新たな視点から現代によみがえらせたのは、批評家で随筆家の若松英輔さん。同館の春の特別展「よみがえる武者小路実篤・美愛眞の世界」(4月25日から6月7日)は、若松さんが所蔵する実篤の絵画や資料を中心に、同館の資料も加えて構成。

 若松さんは書画にも惹(ひ)かれて収集してきたという。実篤が89歳の時に描いた「百合」にこうコメントしている。

 「この作品を手にしたときのよろこびと驚きを忘れることができない。言葉がないこの作品の美しさに魅せられ、眺めているうちに、やはり花を前に絶句する実篤の姿が思い浮かんできたのである」

 同館の展示ホールに画家・中川一政の書がある。

 「この人は小説を書いたが 小説家といふ言葉では縛られない 哲学者思想家乃至宗教家と云ってもそぐわない そんな言葉に縛られないところをこの人は歩いた」

 若松さんの考えもこれに近く、実篤を文学史ではなく精神史の中で捉えるべきだと語る。図録『今、実篤を捉え直す―若松英輔コレクションを中心に―』もそうした観点から作成された。実篤を、星座を形作る恒星に例え、その星々を「実篤と美愛眞をめぐる人びと」として挙げる。

 実篤の近くにいたのが内村鑑三、有島武郎、志賀直哉、柳宗悦、長與善郎、千家元麿、岸田劉生、椿貞雄、河野通勢。その周囲を、鈴木大拙、レフ・トルストイ、イエス・キリスト、高村光太郎、釈迦、空海、孔子、オーギュスト・ロダン、ポール・ゴーギャンなど多数の人々が囲んでいる。

 内村に関して若松さんはこう述べる。「内村鑑三がいなければ白樺派は生まれなかったかもしれない。志賀直哉と有島武郎だけではない。実篤も長與善郎も、柳宗悦さえも内村からの影響を語っている」

 ところで現在、開かれているのは「武者小路安子没後50年」(7月20日まで)。安子は実篤の妻で、「妻・母・祖母として」の姿を紹介する。

 2人は同年に没した。実篤は4月9日、90歳。安子は2月6日、76歳。夫は入院中で妻の死を知らないまま。

 この展覧会では無類に楽しいスケッチが多数展示されている。安子は娘時代に日本画家の鏑木清方に師事して絵の手ほどきを受けていた。優れた力量の持ち主だったが、結婚すると、絵に夢中になって育児や家事がおろそかになってはいけないとそれを断念。

 しかし絵を描くのが好きで、生活の合間にスケッチブックを広げて花の絵を描き始めた。女の子が3人生まれると、実篤と子供たちを盛んにスケッチするようになり、言葉を添えて、家族の記録として残した。三女辰子と実篤を描いた絵に、安子は実篤の言葉を添えた。「海岸をずっと歩いていくと、タコが迷子になって泣いているんだ。うちへ来るかって言ったら、ついてきてね。それがタツコなんだ」。辰子は「うそだ」と抵抗するが、そんな話を何度も聞きたがったという。

 実篤は安子を油彩や淡彩で描き、安子もまた実篤を鉛筆で描いた。実篤の3点の油彩「安子夫人像」は、実篤の抜群の絵画の力量と、妻への深い愛を伝えている。

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