10月、舞台『モンゴル・ハーン』の東京公演を観劇した。英ロンドンで好評を博した良作で、満を持しての日本公演は、東京、名古屋共にチケット完売の日が出るほど盛況だった。
物語は、古代・匈奴(きょうど)の王家に起こった悲劇を描く。モンゴル発で世界展開した作品としては珍しく、チンギス・ハーンを題材としていない。きらびやかな衣装とエキゾチックな踊り、コントーション(軟体芸)やフライング(空中演技)を効果的に用いたレベルの高い舞台で、広いモンゴル草原の荘厳さを思わせるダイナミックな演出に圧倒された。物珍しさだけでなく、その芸術性の高さで目の肥えた欧州の観客を魅了したのもうなずける。
本作から筆者が読み取ったのは、王という存在と、その血統の神聖さだ。主人公の王は、国の存続以上に国体つまり国の尊厳を守るため、跡取り息子である王子を手に掛けるという“聖断”をする。
ここに登場する王は、常に天の神に祈り、伺いを立てながら国を治める立場である。これは、日本でも古くは卑弥呼がそうであったとされるし、今にも続く天皇の祭祀(さいし)にも通じるだろう。
本作は匈奴を舞台にした創作だが、チンギス・ハーンの生涯を神話形式で記した『元朝秘史』も、モンゴル遊牧民のテングリ(天の神)信仰を前提に書かれている。これは自然崇拝の側面が強く、あらゆるものに神が宿るとする日本の「八百万(やおよろず)の神」にも似たところがある。
すべては天の定めた自然の摂理の通りに進んでいく。人間的な思いを超えて、その定めのままに統治するのが王の役割であり、それほどまでに王の血統は神聖なのである。この信仰観が分からないと、本作の物語を理解するのは難しいかもしれない。
モンゴルは現在、王室を持たない。ただ今夏、天皇皇后両陛下が御訪問された際の歓迎ぶりを見るに、古来の“王”観を今のモンゴル人がどれくらい意識しているかは分からないが、「エゼン・ハーン」(モンゴル語で天皇の呼び名)という称号だけでも日本の天皇家に敬慕の眼差(まなざ)しを向けていることは間違いない。
天に尋ね、象徴として国の行く末を日々案じておられる天皇陛下はじめ皇族方を、日本人も週刊誌のゴシップのために追い掛け回すことは慎むべきだ。
ところで、日本では相撲のイメージ一択のモンゴルだが、実は芸術分野でも名高い。特にコントーションは世界的に評価が高く、日本のダンサーの中にも留学志望者がいるほど。オペラでは、元横綱・白鵬関の断髪式でモンゴル国歌を歌ったバリトンのアリウンバータル氏など優秀な歌手を輩出している。首都ウランバートルではオペラやバレエなど、日本円で3000円ほどあればハイレベルな公演を鑑賞できる。
本作を巡って、モンゴル本国ではマネーロンダリング問題で揉(も)めていて、評価が二分しているのは残念だ。国内のトラブルが原因で本作の公演に支障が出るとすれば、モンゴルだけでなく世界の芸術界にとって損失である。
(サンデー世界日報副編集長・辻本 奈緒子)





