トップオピニオン記者の視点「戦後80年」の節目 「戦後」は本当に終わったか

「戦後80年」の節目 「戦後」は本当に終わったか

広島原爆投下75周年を記念する式典が行われた。
広島原爆投下75周年を記念する式典が行われた。

参議院選挙で参政党が躍進した要因の一つに「日本人ファースト」のキャッチフレーズがあったと言われている。経済的に困窮する人が増える中、外国人による犯罪やさまざまな制度の不適切利用など、何らかの理由で外国人の増加に不満を持つ層の心に響いたのだろう。

「日本人ファースト」の受け取り方は人によってさまざまで、「反グローバリズム」と併せて理解するのがいいのかもしれない。同党を支持するのかしないのかは別にして、このキャッチフレーズは国家や日本人であることの誇りを忘れるべきでないとの思いも込められているように思える。しかし、左派メディアは、これに「排外主義」とレッテルを貼る。このような過剰反発が起きるのを見ると、日本の「戦後」はまだ終わっていないと感じる。

もうすぐ「8月15日」がやって来る。安倍晋三元首相は2015年の「終戦の日」前日、「戦後70年談話」(安倍談話)を出した。これに対し、戦後50年の「村山談話」をなぜ否定しなかったのか、と保守派の一部から批判があった。社会党の村山富市元首相はアジア諸国への「植民地支配と侵略」を認めていた。

だが、安倍談話を今、読み返すと、国益と国際協調を調和させた、巧みな談話だと思う。「侵略」「戦争」「植民地主義」などの言葉を「グローバルスタンダード」の文脈の中に位置付けて「永遠に訣別」すると宣言。一方で、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気」づけたとするとともに「アジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました」と、村山談話を〝上書き〟した。

そして、この談話の肝は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた部分だ。

朝日新聞主筆だった船橋洋一氏が、安倍氏に19回インタビューするなどしてまとめた『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文藝春秋)を昨年秋出版した。帯封に「『戦後』を終わらせるため、彼は戻って来た」とあるこの本は、安倍談話をまとめるプロセスを詳細に記録している。その中に、政権内に興味深いやりとりがあったことを記している。

文案の段階では、前述の「謝罪を続ける宿命」は「謝罪を続ける原罪」となっていた。これに対して、太田昭宏・国土交通相(当時、公明党)が、日本は欧州でもキリスト教国でもないので「原罪という概念はなじまない」と違和感を示した。何度かやりとりし、結局「宿命」になった。創価学会の池田大作名誉会長(故人)は「宿命を使命に転換させる」と説いてきたのだという。

安倍氏は戦後に区切りを付け、戦後80年には首相談話を必要としなくするために、70年談話を出したのだ。参議院選挙における自民党大敗の責任から退陣が不可避とみられる石破茂首相はキリスト教徒だ。首相談話を出すのをあきらめ「個人の見解」を出す方針だと伝えられている。総理として最後の使命だと考えて、歴史を蒸し返し国内外の「反日」勢力を煽(あお)ることがなければいいのだが。

 (編集委員)

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