トップオピニオン記者の視点山への情熱の系譜【記者の視点】

山への情熱の系譜【記者の視点】

客員論説委員 増子耕一

アルパインクライマーの平出和也さんと中島健郎さんが昨年7月、カラコルム山脈のK2(8611㍍)で滑落死したことは記憶に新しい。優れた登山家だったので彼らの死を悼む人々は多かった。

救助のすべがなかったと言われたが、どのようにして事故が起きたのか、伝えられたのは後のこと。2人はブルーアイスの壁を前にして「やばい」と思ったらしい。

ブルーアイスとは青く凍った氷のことで、アイゼンやピッケルが刺さらないほど硬い。彼らは前進か、ルート変更か、撤退か、考えたはずだが登り続けた。アイゼン、ピッケルを打ち込んだ瞬間、壁面が崩壊した。

こうした遭難事故は登山史を彩ってきた暗い一面だ。新刊の『クライミング・マインド』(ロバート・マクファーレン著、筑摩書房)は、この2人に引き継がれた「山への情熱の系譜」を記している。著者によるとモンブランだけで1000人以上が命を落とし、マッターホルンは500人、K2は100人。

著者はケンブリッジ大学英文科教授で登山家でもあり、その情熱に身を委ねた経験も披露する。この系譜が登山史に登場するのは18世紀後半で、それを象徴する出来事が1786年のモンブランの登頂だ。「より高く、より険しく、より困難を求めて」というアルピニストの精神は、現代まで引き継がれている。著者はこう語る。

「わたしたちは、高みで経験することはまったく人それぞれの個人的なものだと思い込みがちかもしれない。けれども本当は、わたしたちひとり残らず、ほとんど目に見えない、入り組んだ感性の継承者なのだ」

著者の場合、転機がやって来て、山で命を危険にさらす必然性はなく、宿命でないと悟り、その死は讃(たた)えるべきではないとの結論に至る。

この本は、著者が12歳の時に読んだ1924年のイギリス遠征隊の記録『エヴェレストへの闘い』で始まり、この山で帰らぬ人となったマロリーの話で終わる。マロリーこそがこの感性の系譜を不滅のものにしたからだ。

ところで山での遭難は、永遠に存在し続けることになるのか。本書にその答えはない。が、50年の人類最初の8000㍍峰登頂の記録、M・エルゾーグの『処女峰アンナプルナ』の話が出てくる。隊員だったG・レビュファは名ガイドとなり、新たな登山観を提示した。

この職業で培った登山の心構えがあった。「重要なことは、よく自己を把持することだ。何が起きようとも恐れず、興奮せず、《頭の冷静》を保ち、危険と困難というまったく異なる二つの概念を混同しないことだ。前者は病的で、後者は健全で雄々しい」(『雪と岩』)。

レビュファはどのようにして危険と困難を判別する尺度を悟ったのか。これは登山技術の問題などではない。レビュファの場合、創造主による天地創造のみ業を讃えることが職業の動機になっていたからだ。

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、/大空はみ手のわざをしめす。/この日は言葉をかの日につたえ、/この夜は知識をかの夜につげる。」(詩編第19編)

天の知識を知り、危険が病的だと知ること。これは登山家の霊性の問題なのだ。

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