【記者の視点】高校の男女共学激論 別学は「超草食男子」を防ぐ?

森田 清策

弊紙の教育欄「あすへのノート」(2月13日付)は埼玉県で起きている公立高校の共学化論争を取り上げた。記事を書いた「光」氏は「偏差値がすべてではないが、私立を中心に別学校が全国ランキング上位に並ぶ」「別学の方が教育効果が高いことは脳科学的にも明らかにされている」と、別学の利点を挙げている。

私も別学賛成派だ。男子高出身者の経験からすると、学力の他にも別学は「男性性」「女性性」を育てる効果があるように思うからだ。この欄を借りて、別学推奨の立場から共学論争に“参戦”したい。

私が卒業した高校は、宮城県内の旧制中学が前身で、質実剛健を校風にしていた。一応、その地域では進学校と位置付けだが、東大に何人も合格するような有名進学校とは違って、自由でのんびりとした雰囲気の高校だった。私も女子生徒の目を気にすることなく、スクールカラーの紫の手ぬぐいを腰にぶら下げながら下駄を鳴らして町を闊歩(かっぽ)していたことを、今でも懐かしく思い出す。

宮城県内で共学論争が起きたのは1999年、当時の浅野史郎知事が一律共学を打ち出したのがきっかけだった。別学を誇りにしていた同窓会などが反対運動を展開した。仙台二高の同窓会長、西澤潤一氏(故人、当時首都大学東京学長)も「共学化で学力が低下する」などとして反対した。

私も当時、高校教師をしていた同級生と論争した。彼は「憲法は男女平等を定めている」として共学に賛成。筆者は「別学希望者の選択肢として別学校を残すべきだ」と反論したが、物別れ。結局、県内各地域での激しい反対運動の甲斐も無く、2005年から10年にかけて、別学校はすべて共学に変わってしまった。

「光」氏や西澤氏のように、別学の利点として「学力」がよく挙げられる。男女共同参画の苦情処理委員会による勧告によって論争が起きている埼玉県でも、反対する理由の一つに学力問題がある。しかし、別学の利点はそればかりではないだろう。

『愛するということ』の著者エーリッヒ・フロム(哲学者)が男女平等について意味深なことを言っている。「男女が平等なのは男女のちがいがなくなったからだ、という思い込みが生まれた」としながら、「平等傾向も、差異をなくそうとする傾向の一つのあらわれである」「二極性にもとづいた性愛も消えつつある」。

少しオーバーな分析にも思えるが、「恋愛も『性』も縁がない 超草食男子」が増えているのは事実(産経新聞2月19日付)。もしかしたら、思春期に異性の存在が近くなり過ぎてしまったことが超草食男子を増やし、それが少子化の要因の一つになっているのではないか。

男女共学と少子化との因果関係は脳科学的に研究してみる価値がありそうだが、そうでなくても、男女別学で異性を遠くに見ながら思春期を謳歌(おうか)することは男性性・女性性を豊かにすると思うのだが……。

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