客員論説委員 増子 耕一
作家の栗田勇氏に小紙で『比叡は萌える』を連載してもらっていた頃、フランス文学を学生時代に学んだ体験を伺う機会があった。東大の渡辺一夫先生のゼミで、ボードレールの詩を読んだそうだが、その中の重要な言葉を学生たちに割り振り、その言葉が歴史のそれぞれの時代に、どのように使われてきたかを発表させるというもの。
栗田氏はその経験を通して、中世の信仰の歴史がボードレールの詩語に刻まれていたことを学んだという。
時代が変わるごとに言葉の意味が変わり、その背景には社会構造の変化があり、その変化を通して歴史を動かしている力を考えさせる。
ビザンツ史を専門とする大月康弘氏の新刊『ヨーロッパ史 拡大と統合の力学』(岩波新書)を読んでみると、類似の研究方法が見られるが、これは大月氏が西洋経済史の泰斗、増田四郎から学んだことのようだ。
現代人は現代の価値観から過去を振り返ろうとするが、そこで使われる概念は過去には通用しない。増田四郎は逆に前近代から近代への転生を理解しようとした。増田の著作にヨーロッパ世界の全体を展望した『ヨーロッパとは何か』があったように、大月氏もビザンツ史という専門研究を生かし、別の観点から、近代とは異質な原理がヨーロッパ史に伏在してきたことを明らかにしている。
出発点を392年にキリスト教を国教としたローマ帝国に置く。5世紀から6世紀にかけて、ローマの伝統的な支配権にキリスト教的な世界観が加わり、ローマ皇帝は「世界」を救済する使命を自らの当為とするようになる。「ローマ帝国」と「キリスト教」がヨーロッパの基層となったという。
著者が着目したのは「大帝」と呼ばれる偉大な皇帝が東西に登場してくることだ。4世紀にコンスタンティヌスとテオドシウス、6世紀にユスティニアヌス、8~9世紀にカール、10世紀にオットー1世とバシレイオス2世。カールとオットー1世はフランク王でもあった。
彼ら大帝は世界観も使命も同じくしていた。
5世紀以降、皇帝たちは、教会と信者である帝国民の安寧に配慮を及ぼすことが求められた。ユスティニアヌスはキリスト教徒に財政的配慮(減免税)を与え、勅令を出して、教会や修道院が独立した法人格をもって財産を所有するように配慮した。法整備も完成させた。彼自身、聖ソフィア聖堂はじめ多くの聖堂を建設し、慈善活動の施設も付属させ、その運営には財政制度上の支援を与えた。
また5世紀末から6世紀にかけて地震、旱魃(かんばつ)、疫病が頻発し、異民族が侵入して来ると、黙示録的な意味をもって人々に迫ったという。世界年代記が書かれるようになり、「西暦」が誕生し、「いま」を問うようになる。
これは神の世界救済史の中で「いま」が終末であるという自覚に促されてのことだったという。この終末論的観念は伏流となってレコンキスタや、「新大陸の発見」をもたらし、ルネサンスの原動力となったことを大月氏は詳述する。この伏流水は、米国を経てアジアに流れてきたというのが、内村鑑三が示した世界史の見方だ。