【記者の視点】これからの「個別最適」教育 公正さ守り、生きる力育成を

編集委員 太田 和宏

明治以来のクラス一斉授業は、「富国強兵」「殖産興業」を目指し、欧米の先進国を凌駕するため、一定水準の知識を持ち、何事も一生懸命にこなす“良質な国民”を育てるには最適であったと思われる。高度経済成長期からバブル崩壊までは、そうした人材育成で超えてこられた。

だが、先行き不透明で技術革新が想像を超えた速度で進んでいる現在、学校教育はいかにあるべきだろうか。最近、おぼろげながら、見えてきたことがある。人工知能(AI)を駆使した「個別最適型」と先生が板書する「一斉・協働型」、クラスメートなどと話し合いながら合意点を見つける「協働的学習」を交ぜ合わせたハイブリッドな教育になっていくのではないかと。そしてクラスメートや先生と対話しながら、分からないことを尋ね合い、正解が見えない問題に対して、納得解を得ていくことが必要な時代になっていくように思える。

公立の学校単位で「個別最適」授業を行おうとすると、さまざまな壁にぶち当たる。インターネット環境が整備されていなかったり、行動を起こそうとする校長に人材と予算の権限がなかったりだ。人員が必要な場合や予算が必要な場合も自治体の教育委員会にお伺いを立て、議会で予算が承認されるまで、大したことはできない。

改革の指定校になっても、それが市町村全体に広がるにはさらに時間がかかる。そのうちに、人事異動で別の学校や市町村に移動となり、行おうとする改革が“うやむや”になってしまう。大学の付属学校、私立の一貫校などならば、予算と人事権が校長・理事長に一任されており、物事は進みやすいのだが。

一方で、ネットなど環境が整えば個別最適な教育ができるかといえば、そうでもない。「やりたいことだけをやる」というのでは、将来の自分が目指す目標に到達できなくなる。

「大学で経済を学ぶので数学は関係ない」というのは間違いで、経済学を学んでいくと数学的な集合理論や確率論で考えなければならないことが起きる。理系学生でも卒業論文を書くときに文章力が必要になってくる。大学受験なら受験の科目だけで済むかもしれない。だが、中学・高校時代は、その先、どんな仕事に就き、どんな社会貢献ができるか、まで見据えた将来設計の基礎をつくる時代だ。

目先の受験科目の成績を上げることも必要だが、同級生と共に教え合い、学び合い、語り合い、分かり合った喜びは大切だ。数値で表せない指導力とか統率力、協調性なども鍛える必要がある。学校では数値に表れない「楽器が扱える」「ダンスが得意だ」など、自分をアピールできる力も必要だ。

自分自身を知って、自己開示でき、自分はどんな人間か、どういう人間になりたいのか、個人個人が描く人生の道のりに寄り添って、将来必要な学力を身に付け進む道の選択肢を示してあげ、実現させてあげることも学校・教員の大きな仕事だ。先生、児童・生徒共に、これからの時代を生き抜く力が求められている。

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