【記者の視点】「共用トイレ」を考える 女性の視点忘れてないか

編集委員 森田清策

今国会中での成立が確実視されている性的少数者(LGBT)理解増進法案。いゆわる「性自認」を法令に入れることに反対する「女性スペースを守る会」など4団体が5月1日、この法案への反対集会を都内で開いた。そこで同会共同代表、森谷みのりさんの発言にハッとした。

「女子トイレは祖母、母の世代の女性たちがやっと勝ち取ってきたものだった。女性専用のものとして被害から身を守る防犯の機能が忘れられていいのか」。

「性別男性」の筆者はこれまで、公共トイレを使う時、「防犯」を意識したことはほとんどなかったので、この言葉に女性の視点に鈍い“男の性”を反省させられた。

女性にとって、専用トイレは人権問題だという。もっともなことだ。それが侵害されることへの不安、そして実際に侵害された痛み・つらさは当事者が一番分かっている。だから、トイレ問題はその立場に立って考えることが大切である。

コロナ禍前、気の合う中学時代の同級生たちが年に何度か集まって、食事会を持っていた。ある時、体は男性だが「女性」を自認する、いわゆる「トランス女性」の経産省職員が女性用トイレの使用を制限しないよう求めた訴訟が話題に上ったので、筆者が「うちの中学のトイレは男女別じゃなかったよな」と言った。

食事会には男性4人、女性4人が参加していた。筆者を除く男性たちは「そうだったかな」と記憶が曖昧。ところが女性たちは異口同音に「あのトイレ、嫌だった」と顔をしかめた。女性には衛生面に加え、小便をする男性の側を通って個室に入ることへの羞恥心と不安があった。一方、男性にはその感覚が薄いから、共用トイレの印象も残っていなかったのだろう。

筆者らは昭和40年代後半、戦前に建てられた木造校舎で中学時代を過ごした。冬になると、窓の隙間から寒風が吹き込む古い校舎だった(卒業直後に建て替えられた)。その校舎のトイレは、右側に男子用の小便所、左側に汲(く)み取り式の男女共用個室がずらりと並んでいた。今からすれば、学校に男女別でないトイレがあったとは信じ難いだろうが、東北の農村にはあったのだ。西日本で育った同年代の同僚に聞くと、「うちの中学も同じだった」というから、同時期に建てられた校舎ではそれが普通だったのだろう。

では、4人の男性同級生のうち、なぜ筆者だけが共用トイレを記憶していたかといえば、それには理由がある。ある時、隣接する大きな町で近代的な校舎に通う生徒たちがクラブ活動の試合でやってきた。その生徒たちがトイレで「この学校は男女一緒かよ」と、わが母校をけなしたからだった。

数年前、九州のある県の古びた公共施設で行われたセミナーを取材した時のこと。そこのトイレは水洗だったが、男女別ではなかった。そこで鉢合わせになった女性が「今時、これですから」と苦笑いしていた。筆者は「いまだに共用ですか」とは言わなかった。

今でこそ男女別が当たり前の公共施設のトイレだが、初めから男女別だったわけではない。一説によると、日本で最も古い女性用トイレは明治31(1898)年、日本銀行に設置された“婦人便所”とか。女性に参政権がない時代は、議事堂に女性用トイレの必要性はなかったし、女子学生を受け入れない大学も同じだった。つまり、女性用トイレの歴史は、女性の社会進出の歴史でもあるわけだ。

ところが最近、トイレを男女で区別するのは「差別ではないか」との声が体の性と性自認が一致しないトランスジェンダー当事者あたりから出てきた。そこで「ジェンダーレス」「オールジェンダー」のほか、「みんなの」「だれでも」と名づけたトイレが登場している。しかし、いずれの名称にしても、何がどう違うか分かりづらく、利用者のことを考えているのか、と疑ってしまう(トランスジェンダー当事者の人権は稿を改める)。

男女別トイレでは、ピクトグラムの色は、男性が青、女性は赤と色分けし、分かりやすくするのが普通だ。しかし、最近は、明確に分けることを「後進性」と捉えているのか、ピクトグラムを同じ色にするケースが増えているが、筆者は「どれを使えばいいか」と一瞬迷ってしまうし、間違って女性用に入りかけたこともある。女性が不安を覚えるのは当然だろう。

日本の都会では時計の針を巻き戻すように女性専用トイレが減っている。しかし、先にLGBT運動が活発化して共用トイレが増えた英国では、女性たちの苦情で男女別トイレの設置を増やす方向に舵(かじ)を切ったそうだ。トイレのジェンダーレス化は“LGBT先進国”の背中を、周回遅れで追う日本の主体性のなさを浮き彫りにしている。

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