編集委員 森田清策
「おひとりさまの教祖」――とは、よく言ったものだ。「週刊文春」3月2日号がマルクス主義フェミニストとして知られる上野千鶴子氏(74)が一昨年亡くなった歴史家の色川大吉氏(享年96)と結婚していたことを“暴露”した記事の見出しだ。
この記事に対して、上野氏は月刊「婦人公論」4月号に「揶揄に満ちた呼称である」と反論手記を寄稿した。こちらの見出しは「15時間の花嫁」。筆者はこちらのほうが気になった。
“フェミニズムの旗手”とも評される上野氏が実は結婚したというのだから、この週刊誌報道は物議を醸した。無理もない。同氏はかつて「自分の性的自由を放棄する契約関係に自ら入り、契約を破った相手を非難する権利を持つなんて、想像もできない」(朝日新聞2015年4月30日付)と公言し、既婚のフェミニストを難詰していたのだから。また、高齢になったシングルが老後を楽しむためのノウハウを伝える著書も多いことから、ツイッターなどで同氏を批判するコメントが噴出した。
それに対する月刊誌上における上野氏の反論は次のようなものだった。長年にわたる色川氏との関係はプライバシーの問題であり、隠すつもりもなければ公開する理由もない。それよりも「世の中には、他人のプライバシーを嗅ぎまわってそれをネタにする卑しい人々がいる。『文春砲』なるものもその一つだ」と舌鋒鋭かった。
だが、この手記に、筆者は二つの点で違和感を持った。上野氏が長年、色川氏を介護支援していたという特別な関係にあったことに加え、不便さの解消という名分はあったにせよ、学者として自分が嫌ってきた婚姻制度を利用することを潔しとしないのか、と。もう一つは「15時間の花嫁」だ。
手記によれば、上野氏は死亡届や相続の問題を解決するため、法律を「逆手」に取り、色川氏が亡くなる前日、婚姻届を出したという。だから「正味15時間の婚姻関係」になったというわけだ。しかし、この選択には首をひねってしまった。
一人暮らしで相続人がいない高齢者から、亡くなる直前に婚姻届を出して財産を詐取してしまおう、との悪巧みを誘発する恐れがある。もちろん、上野氏は自分を見習えと言っているわけではないが、真似(まね)する不貞のやからが出ないとも限らない。おひとりさま教を発案したことも広めたこともないという上野氏がいつの間にか「おひとりさまの教祖」と揶揄される状況が生まれることだってあるのだ。
その関連で思い浮かぶのは35年前流行った「クロワッサン症候群」。日本経済のバブル期、女性誌「クロワッサン」が女性の新しい生き方として打ち出したのは、キャリアウーマンとして自立する姿。市川房枝、桐島洋子両氏ら離婚歴ありも含めた独身の文化人女性の生き方を提示。それに触発され、結婚も出産もせずに生きる道を選ぶ女性たちが続出した。
だが、そうしたOLたちが女性誌に踊らされていただけだと気が付いた時には出産適齢期を過ぎていた。街行く親子連れを見掛けると、はしごを外されたような焦燥感にかられるが、年齢はいかんともし難い。そんな女性たちの葛藤を描いた本は一躍話題となった。
著者は、エッセイストの松原惇子氏。その中で、同氏は「クロワッサン症候群の女とは、何を隠そう、それは私自身のこと」と書いている。同氏は“おひとりさま”に関する著書も出している。
上野、松原両氏とも団塊の世代で、これから介護保険の恩恵に預かる番。上野氏が訪問介護を支える人々の手を借りながら色川氏と共に過ごした時間を胸に、今後のおひとりさま生活を豊かに送るのかもしれない。しかし、“自宅ひとり死”という幸せな最期を迎えるには(上野氏には「在宅ひとり死のススメ」という著書がある)、多くの人の世話にならなければいけない。にもかかわらず、子供のいない高齢者が増えれば、在宅介護システムは崩壊し、介護保険の恩恵は団塊の世代まで、とも言われている。
さらに、上野氏のように自分の思想に従い覚悟を持っておひとりさま生活を選択した人はどれほど存在するのか。フェミニスト学者が唱える老後とは懸け離れ寂しいおひとりさま生活を送る人は少なくないはず。そこに、おひとりさまの増加に介護システムが耐えられなくなる現実を前にすれば、孤独感はさらに増す。そんな独居高齢者が法律を逆手に取った悪巧みのターゲットにならなければいいが、と思う。