【記者の視点】共産党議員の「除名演説」 北方領土で正反対の主張も

政治部長 武田滋樹

暴露系ユーチューバーで元参院議員のガーシー(本名・東谷義和)氏が3月15日、現憲法下で3例目の除名処分となったが、先の2例はなぜ除名の懲罰をうけたのか。

いずれも72年以上前、第2次大戦の敗戦国として、連合国軍に占領され主権がなかった時期の出来事だ。最初の「除名」は1950年4月の小川友三氏(親米愛国勤労党)。参院本会議で予算案に対し反対演説をしながら賛成票を投じたためで、「予算案に…は幾多訂正する点もある」が「占領されておる国民として最も正しい行き方を…実行した」などと弁明したが、議員としての資質が問われた。

次に除名されたのは51年3月29日、衆院議員の川上貫一氏(日本共産党)だ。1月27日の代表質問の内容が「質問演説に名をかりた共産党テーゼの宣伝以外の何物でもない」などの理由で懲罰動議が出された。紆余曲折(うよきょくせつ)の後、川上氏は3月24日の本会議で公開議場での陳謝を命じられたが、陳謝文の朗読を拒否。同29日の本会議で賛成239、反対71で除名となった。

当時は占領政策の批判が罪に問われる時代で、東西冷戦が本格化する中、共産党は50年1月のコミンフォルム批判を受け入れて、平和的民主的な方法での革命路線を捨てたことに加え、6月25日の朝鮮戦争勃発もあり、共産党も中央委員が公職追放を受け、公然組織を非合法の地下組織が指導する体制となっていた。

そんな中の代表質問(「除名演説」)は公に党の主張を宣伝する絶好の機会であり、より急進的な内容となったのだろう。

特に、米軍をはじめとする国連軍と、中共軍が加勢した北朝鮮軍とが激戦を続ける朝鮮戦争について、川上氏は「朝鮮は国連の名による帝国主義者の干渉によって、人民は殺された。家が焼かれておる。そして国土は戦争と爆撃で焼け野原となってしまった」(著書『たたかいの足おと』より)とし、「これが朝鮮民族にとって安全保障であったか、…完全に危険保障です」と主張した。

また、「アジアの人民は、…民主的で平和的な安全の道をはっきりと提案し、要求して」いるとして、①米軍の朝鮮からの撤退②米軍の台湾からの撤退③すみやかなる対日全面講和の締結と、全占領軍の撤退―の三つを挙げている。これは、ソ連や中国の主張の代弁としか言いようがないものだ。

さらに、川上氏は北方領土問題について、「領土の帰属に関しては、ポツダム宣言、カイロ宣言並びにヤルタ協定の決定が厳重に守られなければならない」と主張。特に、1945年2月11日署名のヤルタ協定について、「厳たる国際間の条約であります。これを破ろうとするものは、国際条約を愚弄(ぐろう)し、国際動議を踏みにじり、カイロ宣言にも難癖をつけ、ポツダム宣言まで蹂躙(じゅうりん)するものである」と述べた上で、「千島列島を云々(うんぬん)するのは、故意にソ同盟(旧ソ連)を誹謗(ひぼう)し、国民に対して反ソ感情をわき立たせ、国民を反ソ反共戦争にかりたてようとするもの」だとまで言い切っている。

当時の吉田茂首相が、「ただいまの議論は、要するに共産主義の宣伝演説であると考えますから、一々答弁しない」と一蹴したのも頷ける内容だ。

現在の共産党は当時と同様に「アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威」とする一方で、当時「平和愛好諸民族」の筆頭に挙げた旧ソ連、北朝鮮、中国のいずれも激しく批判している。

とりわけ北方領土問題では、「(第2次大戦の)戦後処理の不公正を正すことがどうしても必要」だと主張。ヤルタ「密約」が「その不公平の基にある」(以上、志位和夫委員長)としながら、サンフランシスコ講和条約も認めない立場から、北方四島にとどまらず「全千島の返還」を主張している。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないが、旧ソ連(ロシア)の評価が違うと、歴史の見方もこれだけ変わってしまうのは、さすが党派性を是とする政党だといえる。

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