
サンデー編集長 佐野 富成
日本と米国の野球史に新たな一ページが加わった。3月22日まで開催された野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。決勝は日本と米国の組み合わせとなった。結果は3―2で日本に軍配が上がった。
日本では野球、米国ではベースボール。緻密(ちみつ)で繊細、基礎を重視する堅実な野球と走攻守の豪快さと圧倒的なパワーのベースボール。一つの球技でありながら、そのスタイルは極端な戦い方をする二つの国が決勝でぶつかった。まさに数奇な運命の巡り合わせとも言える。
日本の野球は明治初期に、現在の東京大学の外国人教師ホーレス・ウィルソンによって伝えられ広まったとされる。
1907年、初の有料試合が開催された。翌年に米国のプロ野球チームが来日し、日米の野球交流が始まった。2006年に野球の国際化の中でいったん休止したものの、日本代表対米国代表戦として復活している。
交流戦の歴史の中で、日本にとって大きな衝撃を与えたのは、1934(昭和9)年、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスといったホームラン打者や速球王と言われたレフティ・ゴメスらを擁しまさに当時の最強MLB軍団の来日。対する日本は、初めてのプロチームを結成して挑むも、16戦全敗という結果になった。
ただ、この時、沢村栄治投手が好投し、ベーブ・ルースらを速球できりきり舞いさせたことは当時話題となった。ベーブ・ルースも沢村の投球に驚いたことを明かしている。そして、この日米野球をきっかけに日本で初めて職業野球チームが誕生、現在の読売ジャイアンツ(巨人)へとつながっている。
日米の交流開始から100年以上が経(た)ち、ベーブ・ルースの再来とされたのが大谷翔平選手(エンゼルス)だ。ベーブ・ルースも大谷選手同様、投手と打者を兼任していた。大谷選手が活躍するとそのルースの記録をどこまで破るのかに注目が集まった。
そして、今回のWBCでは、日本の特徴である投手力を存分に発揮し、全勝で優勝を手にした。
100年前は全く歯が立たなかった米国に、今や対等に戦えるまでになった。さらに大谷選手やダルビッシュ有選手(パドレス)など今回の代表メンバーに加え、メンバーから外れた鈴木誠也選手(カブス)といった日本人選手が米国で活躍するようになった。
今回の日米決戦は、ようやく日本が米国と対等に戦えるまでになったことを証明したのではないだろうか。一方、敗れた米国は、現在のメジャーリーガーとしては最強の打者と言われるトラウト選手(エンゼルス)が、WBC出場に真っ先に手を挙げ、選手たちを牽引(けんいん)した。ただ、最高の投手を集めることに苦慮した。その要因として、米国の球団が投球に関する制限を設けるなど投手に関しての条件を付けたことで、出場が困難となった。
米国のファンからは、「今の米国代表では不十分」という声がすでに上がっている。さて、2026年にふたたびWBCが開催される予定になっている。この時、日米の選手たちの顔触れがどんな形になるのか楽しみでもある。