客員論説委員 増子 耕一
米ロサンゼルスに、日系米国人の歴史を保存した全米日系人博物館がある。展示物の中心は第2次大戦中に強制収容された日系人の記録だ。強制収容所の模型や写真、監視塔の模型などが紹介されている。9月、この博物館に、米国の75カ所で強制収容された12万5000人以上の日系人の氏名を記した慰霊帳が設置され、一般公開された。収容者の名前を閲覧できるインターネット上のアーカイブも用意されていた。
「敵国性外国人」とされた彼らの苦しい収容生活の様子は、2019年3月に放送されたNHKBSのドキュメンタリー番組「消えた祖父の謎を追う」でも紹介されたし、バイデン大統領も今年2月、「わが国の歴史で最も恥ずべき出来事の一つだ」と声明を出すなど、話題にされてきた。
最終的には人種的偏見と戦時ヒステリー、政治的指導力の欠如によるものと明らかにされ、1988年にレーガン大統領が署名した「市民の自由法」に基づいて米政府による謝罪と補償が行われた。
だが、この事件の発端については、ほとんど紹介されたことがない。
日本軍による真珠湾攻撃のあった41年12月、ルーズベルト大統領が署名した大統領令2525号で日系人は「敵国性外国人」とされ、翌42年2月、大統領令9066号よって強制収容が行われる。だがそれは敵国性外国人による諜報(ちょうほう)活動、破壊工作を防止するため軍事地区から排除するもので、拘留の権限を含むものではなかった。
ところで事実としては、日系人による諜報活動、破壊工作、陰謀などは存在していなかった。『アメリカ在住日系人強制収容の悲劇』(大谷康夫著、明石書店)に詳しいが、連邦最高裁判事ロバーツを委員長とするハワイでの調査委員会も、陸軍省調査報告も、連邦捜査局(FBI)リポートも、日系人による破壊工作が計画されていることを示す証拠はない、と結論。それ故FBI長官のエドガー・フーバーは司法長官ビドルに「日系人の強制立ち退きを求める声は、事実の客観的な分析によるものではなく、大衆の病的興奮と、扇動的な政治家や報道機関からの圧力によるもの」と報告した。
だが同大統領はそれを無視して大統領令9066号に署名した。「日系人を強制収容する上で、最も大きな役割を果たした3人の人物がいた」と指摘するのは『モーゼと呼ばれた男 マイク・正岡』(TBSブリタニカ)の著者の一人、マイク正岡。
その3人とは、日系人を敵対者として偽情報を流した、カリフォルニア州検事総長で後に同州知事と最高裁長官を務めたアール・ウォーレン、高名なジャーナリストのウォルター・リップマン、西部防衛軍管区司令官の中将ジョン・デウィット。
3人の日本人憎悪は激しかった。デウィットにとって太平洋戦争は人種戦争だった。リップマンはウォーレンに取材し、また産業界の指導者、議会の要人とも会食の場を持ち、大統領ともよく食事をしていた。リップマンの権威ある記事で、大衆は病的興奮に巻き込まれていった。
日系人社会のリーダー、マイク正岡によれば、リップマンは日系人の誰一人にも取材しなかったそうだ。3人が仕掛けたことで12万人余の日系人が悲劇を余儀なくされる。