トップオピニオン記者の視点【記者の視点】「信教の自由」への後進性  「反社」印象操作が人権から目そらす

【記者の視点】「信教の自由」への後進性  「反社」印象操作が人権から目そらす

編集委員 森田 清策

弊紙「メディアウォッチ」(9月5日付)で、筆者は「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」代表、後藤徹氏(世界平和統一家庭連合=旧統一教会の信者)に対する12年5カ月に及ぶ拉致監禁による強制改宗について取り上げた。

その違法性は2015年、最高裁で確定したが、日本テレビ「情報ライブミヤネ屋」(8月12日放送)に出演した「全国霊感商法対策弁護士連絡会」紀藤正樹氏のこの問題についての言動が、強制改宗被害者の人権を軽視する姿勢著しく、また憲法が保障する「信教の自由」についての認識の歪(ゆが)みを露呈させていた。彼の発言の問題点については「メディアウォッチ」では書き切れなかったので、この欄でも取り上げたい。

最高裁で確定した原審の東京高裁判決は次のように述べている。「統一教会の諸活動が国の他の法令に違反し、許容されないものである場合は、その行為の当否等について、別途、民事、刑事の裁判手段で個別的に判断されるべきものであって、その信仰の自由の問題とは分けて考えられるべきものである」

どんな信仰を持つかは不可侵の権利だから、たとえ教団に社会的問題があったとしてもそのことによって個人の権利が奪われてはならない。強制改宗はそのこと自体の違法性が問われなければならない――この基本原則を明確にしたのが判決の最大の意義だった。

だが、紀藤氏は法律のプロでありながらそこにはまったく触れない。拉致監禁による強制改宗はたとえ親族が実行したとしても人権侵害で「絶対やってはいけない」とも言わない。代わって強調したのは次のことだ。

欧米でもかつて信仰をめぐり家族でトラブルになるケースがあったが、カルト問題に対する法的・社会的規制を強めた結果、「自力救済的なものがなくなった」。その上で「(日本は)反社会的な宗教団体の問題を家族の中でしか解決できないようにしてしまった」「われわれが何とかしていれば、2世問題や拉致監禁はなくなる」と訴えた。

つまり、日本でも社会問題を抱える教団に対する法的・社会的規制を強めれば、家族による「自力救済」としての強制改宗はなくなるというのだ。

だが、これは個人の信仰問題と教団の社会的問題を意図的に主客転倒させた論であり、教団に「反社」のレッテルを貼ることで、基本的人権から国民の目を背けさせる印象操作と言える。社会的問題があれば、それは別途問えばいいのであって、強制改宗を正当化する理由にはならない。

また、欧米で強制改宗がなくなったのは、教団への規制強化が主要因ではなく、検察・警察、裁判所が強制改宗に対して厳しく臨んだからだ。家庭連合によると、1960年代後半からの強制改宗の被害者は4300人以上に達する。後藤氏のケースでさえ、刑事告訴では「不起訴」になっている。信教の自由についての理解不足、人権意識の後進性は司法も例外ではなかった。

家庭連合の強制改宗被害者はメディアが教団批判を強めると、増える傾向があった。筆者は現在、メディアによる教団批判の嵐の中で、拉致監禁による強制改宗被害者が増えることを心配している。

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