トップオピニオン記者の視点日本も毅然とした態度でウクライナ事態に臨め

日本も毅然とした態度でウクライナ事態に臨め

日露首脳会談の冒頭であいさつする安倍晋三元首相(右)。左はロシアのプーチン大統領

 

北方領土交渉の正義を明確にした米国、及び腰の日本

「米国は北方領土問題で日本を支持する。北方四島に対する日本の主権を1950年代から認めている」

北方領土の日の7日、エマニュエル駐日米大使が自身のツイッターで、北方領土に対する米国の立場を明確に表現した。大使はさらに、緊迫度を加えるウクライナ情勢に言及し、「北方領土からクリミア、ウクライナ東部に至るまで、侵略者が誰なのかは明らかだ」と言明した。

大使が言及したように、米国は1956年9月7日付の「日ソ交渉に関する国務省覚書」(ダレス覚書)で、「米国は歴史的事実を注意深く検討した結果、択捉島と国後島は(北海道の一部である歯舞諸島と色丹島と共に)常に日本の一部であり、日本の主権下にあるものとして正当に(in justice)認められるべきであるという結論に達した」と表明している。

また、旧ソ連(現ロシア)が四島領有を主張する一つの根拠とする米英ソ3国の秘密協定「ヤルタ協定」についても、「参加国の当時の首脳による単なる共通目的の声明」で、3国の「最終決定」でも「領土移譲に法的効力を持つ最終決定」でもないと釘(くぎ)を刺している。

日本と旧ソ連が戦争状態を終了させ、国交を回復した日ソ共同宣言(56年12月12日発効)に調印したのは同年10月19日。つまり、米国は共同宣言の交渉過程で既に北方四島に関する立場を明確にしていたわけだ。

当時も今も、北方領土に直接の利害関係を持つのは日本とロシア、そして「日本は…千島列島についての一切の権利権限および請求権を放棄する」と明記したサンフランシスコ平和条約の締結を主導した米国だ。

同条約締結時の受諾演説で吉田茂首相(当時)は、国後、択捉両島が日本領であることに帝政ロシアが全く異議を差し挟まなかったこと、また歯舞、色丹は北海道の一部であることに言及した。

当時の米国は歯舞・色丹が北海道の一部で「千島」に属さないことには同意していたが、国後・択捉両島については明確な立場を示さなかった。それが、鳩山一郎内閣の重光葵外相の努力もあって、共同宣言の交渉過程で米国がその立場を明確にするに至ったわけだ。

残念ながら、日本がそれを十分活用できないまま共同宣言が締結され、北方四島の帰属問題が現在まで残ってしまった。

しかし米国は、北方領土について日露どちらに正義があるかを明確にしており、ロシアのクリミア不法占拠やウクライナ国境近くへの軍隊配備などが、北方領土と同じ「他国の主権軽視」だと断定し、ロシアを侵略者と名指しまでした。

これに対し日本は、長くウクライナ情勢について「重大な懸念」は共有するものの、米欧が進める「強力な制裁」には及び腰だった。北方領土交渉への影響を懸念してのことだという。おかしな発想だ。力ずくで他国の主権を脅かすロシアに毅然(きぜん)とした態度を取れない国が、どうして不法占拠された領土を取り戻せるのか。そこには国際社会を味方に付ける正義がない。米国にハッパを掛けられてやっと重い腰を上げるようでは、領土交渉も前途多難だ。
(政治部長 武田 滋樹)

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