記者の視点

2月1日、衆議院で対中非難決議が採択された。これは中国のウイグル人などに対する人権侵害を非難する決議のはずだった。しかし、その内容たるや「中国」と名指しせず、「非難」の文字も消えた。さらに「人権侵害」ではなく「人権状況」という言葉を使うといった曖昧さが顕著だ。
肝心なポイントがぼかされ、誰に向けて何を言いたいのかが伝わりにくい文言になった。人権擁護と見せ掛けながら、当の中国にも忖度(そんたく)するといった玉虫色の対中非難決議だ。
この対中非難決議に対しアジア自由民主連帯協議会や日本ウイグル協会などが翌日、声明を発表。「中国における人権弾圧およびジェノサイド(民族大量虐殺)に対し、一定の国家意志を示したことは歓迎する」としつつも、決議文に関し「新疆ウイグル自治区やチベットなどへの弾圧の実情が、ほとんど反映されておらず、中国政府のジェノサイドを事実上看過することを意味しかねない」と注文を付けた。
人権の中でも、魂の尊厳に関わる核心が精神的自由だ。つまり「思想および良心の自由」「言論および表現の自由」や「信教の自由」といった内的世界の自由だ。ウイグルのイスラム教やチベットの仏教など信仰や言論を理由に収容所に送られたり弾圧を加えられたりする状況は、どこの国であろうと見過ごすことがあってはならない。
わが国に問われているのは、ずる賢く立ち回って両者から利益を得る両天秤(てんびん)外交ではなく、人類の普遍的価値である人権に関しては揺るがない腰を据えた覚悟だ。目先の利益と自己保身のために、直言を厭(いと)うようでは誰からも尊敬されなくなる。
これではウイグルやチベットなどの人権擁護どころか、わが国の国家の尊厳そのものが危うくなる。国家が底力を発揮するのは、経済力や軍事力だけではなく、守るべきものを断固守り抜く精神のありようが関わってくる。何より米国におもねり中国の顔色をうかがう二股外交では、いずれ国家として立ちいかなくなるのは自明だ。
第三世界の発展途上の国なら、巨大な両雄共に付き合う両天秤外交で自ら生き延びるための利益を両者から引き出していくのは許されるかもしれないが、戦略的にも地政学的にも米国にとって重要で不可欠な国となっているわが国が曖昧なままでいいはずがない。
一見、両雄に気を配った中立外交は温厚な平和主義者にも思われがちだが、どっちつかずの優柔不断さが裏目に出れば亡国の選択だ。
両雄並び立たずで、いずれ世界覇権をめぐって両者の勝敗は決着がつく。その時、勝った国からは「のるかそるかの大事な時に、私に協力してくれなかった」とその後の信頼関係が崩れ、負けた国からは「あなたの助けがなかったから負けた」と恨まれる。
いずれにしても、自己保身のためのどっちつかずは、双方から相手にされなくなるリスクが存在する。たとえ負けた側に付いたとしても、断固として戦ったということによって、世界に「戦う意志がある国だ」との敬意を得ることができる。そして、この国は利と力で動かせない腹の座った国だと思わせることが可能となる。
編集委員 池永 達夫