マルクス主義の呪縛 権力の濫用はソ連崩壊後も

《 記 者 の 視 点 》

 ロシアに滞在している外国人が、身近に被る犯罪被害は警察官によるものが多い。街角でパスポートの提示を求められ、宿泊先に置き忘れていたりすると、罰金として金が要求される。ビザがおかしいとか、言い掛かりをつけられて、お金が盗み取られる。

カール・マスクス(Karl Marks-Wikipedeaより)
カール・マスクス(Karl Marks-Wikipedeaより)

ロシア文学者、奈倉有里さんが『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)という留学滞在記で紹介している。その背景や仕組みを「法秩序を担えば法は犯せる」という言葉で象徴する。奈倉さんが宿泊所で目にしたのは、部屋から警官が出てきた場面、1人ではなく5人もいた。最後に娼婦風の若い女が泣きはらして出てくる。

最も警戒すべきは警官、という信じ難い話だが、ロシア詩人の作品の中で警官の犯罪が風刺されている事例を挙げ、「『自分たちは裁かれないという感覚』に従って不法行為に出る」と語り、「中央集権の強権国家における警官の権力に肥大とその濫用(らんよう)という現象は、ソ連崩壊後も続く」と記す。

「唯物論は、精神的選択の問題を取り除き、そのことによって個人の責任、罪、悔恨の問題を取り除いてくれる」「唯物論は、権威主義と理念的に結びつき、自由というものを社会や人間の自然な状態とは認めない」

1992年に刊行された『マルクス主義の崩壊』(井上幸義訳、サイマル出版)でこう記したのは、元ゴルバチョフ大統領首席顧問のアレクサンドル・ヤコブレフだった。マルクス主義の理論と実践の過ち、その悲惨さ、罪を内部から抉(えぐ)り出し、悪の根源を理論的に語っていた。だが、ヤコブレフが記した罪の数々について、ソ連崩壊後、ロシアはほとんど顧みなかったようだ。

奈倉さんのロシア滞在は2002年から08年までだったが、そのロシアで言論の画一化が進んでいることを実感したのは07年。独立系テレビや新聞社への弾圧やスタッフの総入れ替えが行われ、大学では教科書問題として現れたという。

「ロシア史」の講義名は「祖国史」に変更された。ウクライナやベラルーシから来ていた学生たちは幻滅し、落胆する。またウクライナ語とロシア語など両言語を使う人々を故意に対立させる暴挙を行っていく。

チェチェンに続き、08年グルジアで戦争を起こし、14年クリミア半島を併合。
そして今、ロシアはウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟阻止のため、ウクライナとの国境付近に10万人規模の軍隊を派遣している。言語から始まった分断と大国主義は、国際紛争問題へと展開している。

奈倉さんは大学の大講義室の壁に掲げられていたレフ・トルストイの言葉を紹介する。「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ」。無神論から人と人とをつなぐ言葉は出てこない。道徳的規範は人工的に発明されたものではないからだ。それを痛感していたヤコブレフは、「道徳的カテゴリーが実際に機能する基準にならない限り、文字通りの意味で人類は生き残れない」と結論していた。

客員論説委員 増子 耕一

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