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【新聞】創刊3万号迎えた〝新しい〟産経のオールドメディアと一線画す報道

朝毎読は既に5万号

 「日刊30000号」。産経8月29日付の1面題字横にこの号数が刻まれている。産経は昭和8(1933)年6月20日に「日本工業新聞」を発行したことをもって創刊とし、発行号数は昭和17年11月1日付の「産業経済新聞」を1号とし、そこから数えて3万号を迎えたという。

産経新聞社社屋

 これは全国紙では随分と新しい。同日付の他紙を見ると、毎日54205号、読売54149号、朝日50332号とあり、いずれも明治初期の創刊だ。地方紙でも産経より号数を重ねる新聞はいくらでもある。例えば、福島民友(福島県)は43820号で、多くの地方紙は同様に4万台を数える。戦時下の「1県1紙」の統廃合があったので若干のずれはあるが、概(おおむ)ね明治中後期の創刊と見てよい。

 もっとも、怪しげな号数を掲げる新聞もある。琉球新報(沖縄県)の42196号がそうだ。琉球新報は明治26(1893)年に旧琉球王国の尚泰王の四男、尚順らが創刊したが、昭和15年に消滅。現在の琉球新報は米軍の沖縄占領後の20年7月に宣撫工作のために作った「ウルマ新報」が始まりで、26年9月のサンフランシスコ講和条約締結を契機に「琉球新報」に改題した。米軍支配下の当時、商標登録もなく、どさくさ紛れに「背乗り」(スパイ工作員が他人の身分・戸籍を乗っ取って、その人物に偽装する)をやってのけた。43年2月1日付から発行の通し番号も戦前の琉球新報の分を併せて記載する念の入れようだ。そうまでするのは「沖縄の県紙」を自称するためだ。どこかの前市長顔負けの「経歴詐称」を想起させる。

特集でスクープ再掲

 このように産経の3万号は5万号の朝毎読や地方紙の4万号に比べ実に若々しい。人に譬(たと)えると50歳代と30歳代ぐらいの差があると言えようか。何やら年配者はリベラル、若者は保守といった世論の違いを彷彿(ほうふつ)させる。ちなみに本紙は18255号でさらに若い。だから産経や本紙をオールドメディアと呼ぶのは止(よ)しておこうと思う。

 実際、論調もオールドとは一線を画す。産経は8月29日付特集記事で、今年3月に沖縄県名護市辺野古沖で小型船2隻が転覆し、同志社国際高校2年の武石知華さん(当時17歳)が亡くなった事故を巡る報道について取り上げ、「なぜ安全であるべき『平和学習』で亡くならなければならなかったのか。産経は丹念に取材を重ねた」と自負し、他メディアの「通り一遍の報道」を批判する。

 産経のスクープ紙面も再掲していた。「連続企業爆破事件の犯人グループ、きょう一斉逮捕」(昭和50年5月19日付)「ソ連、共産党独裁を放棄へ」(平成2年2月3日付)「北朝鮮による日本人拉致事件疑惑」(「アベック3組ナゾの蒸発」昭和55年1月7日付、「20年前、13歳少女拉致 北朝鮮亡命工作員証言」平成9年2月3日付)で、改めて産経の〝強み〟を思い起こさせた。拉致事件では他紙は追従どころか黙殺で、「メディアは死んでいた」(元産経記者、阿部雅美氏)。

 これは古い話ではない。辺野古事故報道のように今もメディアは死んだり捻(ね)じ曲げたりする。直近で言えば、改正皇室典範を巡る報道がそうで、先の特別国会で衆参両院議員のほぼ9割の圧倒的多数の賛成で成立したが、これをまともに報じたのは産経だけだった。他紙は「『立法府の総意』遠く」(読売)などと、ありもしないことを書き連ねていた(7月18日付)。特集記事は「創刊以来受け継いできた『モノを言う新聞』の精神を守り抜く」とし、「国論を二分する重要課題に対しても果敢に切り込む報道姿勢こそ、産経新聞の存在理由」と決意を披歴している。その姿勢は貫いてほしい。

沖縄政治決戦で審判

 9月に入ると沖縄県知事選の政治決戦が控えている(投開票13日)。辺野古事故スルーや〝背乗り〟のオールドメディアへの審判と言っても過言ではない。産経3万号でつい思いは沖縄に至った。

(増 記代司)

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