ニュースよりコラム
新聞を読む楽しみは人それぞれだろうが筆者の場合、時事ニュースよりもコラムを特上とする。ニュースは活字媒体よりテレビやネット情報の方が早く、トピックスを拾うには適しているが、深読みには適していない。だが、同じ事件を扱っても深読みできる専門家や社会的洞察力が深いコラムニストの筆力で腑(ふ)に落ちる原稿にお目にかかることがある。

産経ではE・ルトワック氏の「世界を解く」と月刊誌「正論」元編集長の桑原聡氏の「モンテーニュとの対話」のコラムだ。今回は桑原氏が書いた7月10日付「モンテーニュとの対話」を取り上げる。
同コラムで桑原氏は、7月2日にニューヨーク国連本部前で焼身自殺した一人のチベット人をテーマにした。このチベット人は前日の7月1日に中国で施行された民族団結進歩促進法に焼身抗議した。
コラムでは「(チベット弾圧に対し)抗議すれば逮捕される。祈れば『分裂主義』と見なされる。沈黙していても監視される。そうした息苦しさのなかで、『もはや普通のやり方では何も届かない』という絶望が広がっていった」と分析する。
やむにやまれぬ義憤
桑原氏の洞察力の深さは、焼身抗議の中に「非暴力の闘い」を見ている点にある。
同コラムでは「そこには『相手を殺す』のではなく、『自分の苦痛によって世界に知らせる』という発想があった」とした上で「彼らが守ろうとしたのは、単なる政治的主権だけではなく、祈りのかたちそのものだったのではないか」と問い掛ける。
「祈りのかたち」を守ろうとしたという指摘は少々難解だが、おそらく圧倒的な力を持つ中国の不条理に立ち向かおうと個人が焼身という自己犠牲を払うことで、天に訴え地に知らしめるとの意味だろう。
チベット仏教で自殺は罪とされ禁忌項目に入る。基本的に母親に生み育ててもらった命を絶つのは一番の罪悪だ。それでもチベット人の焼身抗議が後を絶たない。2009年から既に160人を数える。自分の救済よりもチベットの大義のためやむにやまれぬ義憤が彼らを押し出している。
中国がチベットに侵攻し、自国領に組み入れてから75年が過ぎた。中国は建国の1949年から2年後、チベットを襲撃した。あれから三四半世紀(75年)という時間が経過したことになる。
だが現在、チベット自治区とは名ばかりで、安定統治を名目に強権の鞭(むち)がチベットに振り下ろされている。
中国とチベットが1951年5月23日に交わした17条協定には、中国がチベットの外交、防衛以外のことに対しては尊重することや、ダライ・ラマの地位および職権の保障、宗教信仰と風俗習慣の尊重と寺院の保護、チベット語と独自教育の尊重、各種改革への中央政府の不干渉、人民解放軍による蛮行の制御などを定めていた。
中国の危険知らせる
だが、この協定が守られることはなかった。中国の関心事は当初、チベット軍の牙(きば)を抜くことだった。その口実に不誠実な虚構の手を差し伸べたにすぎない。中国人民解放軍に編入されたチベット軍兵士や兵器は結局、全国に分散され、自然消滅が図られた。これは編入という名前の武装解除だった。相手の武力を封印した後は、中国のやりたい放題となる。多くの寺は破壊され、ダライ・ラマの写真を飾ることも禁止された。民族の文化や伝統の継承役を担うチベット語も、マンダリン(標準中国語)に置き換えられていった。宗教と言語は民族アイデンティティーの核心だ。
その意味ではチベット人の焼身抗議は、強権国家中国の危険度を知らせる「炭鉱のカナリア」だ。生存に不可欠な酸素が不足すると小さなカナリアはいち早く倒れてしまう。炭鉱のカナリアはその危険を知らせる信号だ。桑原氏の魂に響くコラムは、そうしたカナリアの死を犬死ににしないための警鐘役を果たしている。
(池永達夫)






