見えない平和の兆し
今年2月下旬に勃発した米イスラエルとイランの軍事衝突は、米イラン間で一応戦闘終結に向けた覚書が交わされた。もっとも、終結といってもイスラエルとレバノンの間で再び衝突が起こればイランによるホルムズ海峡封鎖の可能性は大きく、予断を許さないものであることは間違いない。一方、ロシア・ウクライナ戦争は勃発から4年の歳月を経て5年目に突入し、未(いま)だ停戦の気配すらない状況。東西冷戦が終わり新世紀を迎えてすでに四半世紀が過ぎたにもかかわらず世界各地で自爆テロや紛争・戦争が絶えず、平和の兆しが見えないのが実情である。
そうした中で、週刊エコノミスト(6月2日・9日合併号)が宗教と戦争という視点から特集を組んだ。「戦争・宗教・国家」と題し、「今の戦時経済を理解するには、世界の宗教と国家の成り立ちを学ぶ必要がある」と、経済誌では珍しく本質的な問題に焦点を当てている。
確かに、今回の米イスラエルとイランの戦闘の背後にはユダヤ教(イスラエル)、イスラム教(イラン)、キリスト教(米国)が絡み合っている。一方、ロシア・ウクライナ戦争には、キリスト教の東方正教会に属するロシア正教会とウクライナ正教会との軋轢(あつれき)が見えてくる。そうした宗教的背景に加えて、領土問題と過去の民族的恩讐が累積されて問題を一層複雑化させている現状がある。

辛酸なめたシーア派
さらに、われわれ日本人からすると、宗教的無関心および無理解が世界の動向を見づらくしている。明治以降、欧米文化を取り入れてきたわが国においてキリスト教への違和感はそれほどないが、イスラム教に関する知識は皆無に近い。近年、東南アジアのイスラム諸国からの外国人労働者が増加する中、土葬などで地域とのもめ事があちこちで生じているとの話を聞く。これなどはムスリム(イスラム教徒)の風習への無理解によるものである。一事が万事、今回の戦闘においても、イランが何故に米国と対峙(たいじ)するのか、という点について率直な疑問が湧く人は多いだろう。
これについてエコノミストは、次のように説明する。「米国の傀儡であったパーレビ朝を市民一人ひとりの力で崩壊させた1979年のイスラム革命以降、『イスラム法学者による統治』の原理に基づき国家運営がなされることになった。それ以降、『米国が必ず攻撃してくる』という前提で、50年近くも入念に準備してきたのだ」(福富満久・一橋大大学院教授)と論じ、加えて「イランを理解するためには同国が中心となっているシーア派の歴史を理解することが重要だ」(同)とも説く。
シーア派はイスラムの預言者ムハンマドのいとこに当たるアリーとその子孫のみを正当な指導者と認める宗派。しかし、イスラム教の中では、神の下の平等を説くスンニ派が多数派で、血筋を重んじるシーア派は少数派。そういう意味で異端としてのシーア派は悲哀と辛酸をなめてきた。さらに「神の言葉がアラビア語で啓示されたのに対し、ペルシャ語に翻訳しなければコーランを理解できないというアラブ人の(長い歴史を通して)シーア派に対する見下しがあった」(同)ため、中東のスンニ派諸国への反発が醸成されていったという。
すなわち、イランという国は、反米でスタートした国家体制を持ち、徹底したイスラム法統治による国家運営を続け、反アラブ主義を根底としている。そこに石油資源あるいはホルムズ海峡といった経済的、地政学的要因が絡んで複雑な中東情勢をつくり上げてきたと説明する。
宗教家は霊性覚醒を
もっとも、今号のエコノミストで座談会に登場した宗教学者の島田裕巳氏は「宗教は戦争を起こす要因であるとともに抑止力の側面もある。ただ、現代は世界的な宗教家が存在しない」と指摘する。同氏の言葉を借りるなら、宗教が原因で戦争を起こすのであれば、いま一度、宗教家は霊性を覚醒し、戦争の抑止と平和実現に向けて奮起する必要があるだろう。
(湯朝肇)






