
明らかに偏った報道
恣意(しい)的な報道、または偏向報道―。それがオールドメディア、ことに左派メディアの特徴としてしばしば問題視されてきた。マス・コミュニケーション、つまり広く一般大衆に情報を伝達する手段が新聞やテレビに限られていた時代にはそれが平然とまかり通ったが、昨今はSNSが普及し「偏向」は簡単に見破られてしまう。もっともSNSによらずとも、記事を読めば、「偏っている」ことはすぐに知れる場合もある。
朝日3日付の1面コラム「天声人語」はイタリア共和国記念日(6月2日)の意義について論じているが、これはどうだろう。記事は同記念日を「それまでの王制ではなく共和制を選んだことを記念する」日とし、「(1947年の)新憲法は、共和制は変えられないと定めている。国民主権や戦争放棄、法の下の平等などを定めた条文も『基本原則』として、改憲対象にはあたらないとされている」と記し、共和制を称(たた)える動画投稿を紹介し「過去の世代が我々に与えてくれたもの。彼らが持ちえなかったもの」といった共和制賛美の投稿文章で締めくくっている。
数えてみると「共和」の文言が6回も出てくる。天声人語の「共和制賛美」の声が響き渡ってくるかのようだった。もとよりコラムだから、とやかく言う筋合いはないが、イタリア憲法を俎上(そじょう)に載せるならいささか偏っている。
確かにイタリア憲法は国際紛争を解決する手段として「戦争放棄」を謳(うた)うが(11条)、国防は放棄していない。52条は「祖国の防衛は市民の神聖な義務である」とし、「兵役の義務」も規定する。むろん軍隊を保有し、78条は「(国会は)戦争状態を議決し、及び政府に必要な権能を付与」するとしている。天声人語はイタリア国民の崇高な国防義務に口をつぐんでいるのだ。
ついでに言えば、29条は「共和国は婚姻に基づく自然共同体としての家族の権利を認める」との家族守護条項で、「個人の尊重」を金科玉条とする朝日とは大違いなのだ。これも天声人語は黙して語らない。軍保持も家族守護も関心がないのか、意図的に隠しているのか、「偏っている」のは間違いあるまい。
皇室報道小さな扱い
それにしても朝日の「共和制賛美」は引っ掛かる。わが国は天皇を戴く「立憲君主制」の国であるが、朝日はこのことを忘失させたいのか。今年4月29日に東京・武道館で「昭和100年記念式典」が天皇、皇后両陛下の御臨席の下で開催されたが、これを朝日は第2社会面でたった13行の短報でお茶を濁した(同30日付)。読売と産経がいずれも1面でカラー写真を掲載したのとは対照的だった。
天皇陛下と長女愛子殿下は5月31日、明治神宮野球場(東京・新宿)を訪れ東京六大学野球春季リーグの早慶戦を観戦された。早慶戦の「天覧試合」は1994年5月以来32年ぶり、愛子さまは初めての御観戦で、ニュース性は十分あるのに翌6月1日付朝日は第2社会面の1段見出し記事で写真もない。これも産経と読売は1面でカラー写真付き、毎日は社会面だったが、写真は載せていた。
天皇陛下は1日、東京都北区の荒川と隅田川の分岐点にある岩淵水門を視察された。これを読売、産経、毎日は2日付で短文だが、いずれも写真を掲載している。朝日のみ写真なし。
秋篠宮殿下を軽視?
ちなみに国の特別天然記念物トキが5月31日、本州で初めて石川県能登半島地域の羽咋(はくい)市で放鳥されたが、式典には皇嗣の秋篠宮殿下御夫妻が出席され、トキを放鳥された。各紙1日付を見ると、産経と毎日は秋篠宮さまの写真を掲載しているが、朝日と読売にはそれがない。両紙は女性・女系天皇容認論を掲げており、皇嗣の秋篠宮さまを軽んじているのだろうか。これはあらぬ疑念か。
とまれイタリアの軍保持も家族守護も語らず「共和制賛美」で皇室を危うくする朝日は、油断も隙もあったものではない。
(増 記代司)






