
少子化、全入など響く
「おいで皆さん聞いとくれ ボクは悲しい受験生…」というフォークソングがあった。高石ともやの「受験生ブルース」(1968年)だ。といっても記憶している読者は既に古希を迎えているだろうし、そもそも若い人たちからは「高石ともやって誰?」「フォークソングって何?」と問われるかもしれない。
それはさておき、受験生には青春を謳歌(おうか)できず、苦しい勉強を続けているという鬱屈(うっくつ)したイメージがある。歌詞の最後は「来年はきっと歌ってるだろう 予備校のブルースを」で終わる。勉強をしないと受験が不首尾に終わり、さらに重苦しい予備校生になってしまうぞ、という意味だ。
ところが、予備校、予備校生はそれほど暗いイメージではない。それどころか80年代から2000年代には「予備校文化」が隆盛を極めていた。人気講師の授業には前の席から埋まっていき、大教室には生徒が溢(あふ)れかえった。億(円台)を稼ぐ人気講師もいたというほど「予備校全盛期」だった。
その予備校が今「冬の時代」を迎えているという。AERA(4月27日号)が「予備校は消えるのか」の特集を組んだ。予備校を取り巻く環境が厳しくなりだしたのは2000年代半ばから。理由は単純だ。「教育ジャーナリスト小林哲夫氏」が説明している。「浪人生が集まらなくなったのだ。加速度的に少子化が進み、大学数の増加で大学全入時代を迎え、また経済的な理由から現役志向の高校生が増えたことなど」である。つまり、「少子化、全入、現役志向」の3点セットが予備校を冬の時代に連れて行ったというわけである。
個別の補習塾必要に
変遷を見てみる。代々木ゼミナール(代ゼミ)に代表される大人数の生徒を集めて大講堂で人気講師が授業をするスタイルが成り立たなくなっていった。これに代わったのが東進ハイスクールや河合塾などが行っている「映像授業」で、編集された講師の授業を個別ブースで受けるスタイルだ。これがさらに「ネット配信授業」に変わる。リクルート、学研などが行っている、いつでも、どこでも受けられる「オンライン予備校」である。
派手な衣装に金ピカのアクセサリーといった、およそ先生のイメージからは懸け離れた格好で生徒を巻き込みながら授業をしていた時代から、時と場所を選ばずスマートフォンやタブレットで個々人が受ける方式に“進化”してきたわけだ。器(校舎)はいらなくなるし、個性的な講師よりも実質的な授業、それが「視聴回数、離脱率で評価される」ようになってきた。
これからの予備校はどうなるか。「河合塾で英語を教えていた廣政愁一さん」は同誌に、「予備校自体は衰退しかないと思います。とはいっても、市場規模は変わらない。これまで大学に進まなかった層が大学入試に挑むようになる。ここで必要とされるのは、学力が十分でない生徒を教えるために、基礎から教える個別型の補習塾です」と指摘している。
「学力が十分でない生徒」はこれから量産されるだろう。今年度から始まった私立高校の授業料無償化で公立高校の定員割れが増え、その分、合格ラインを下げて、学力の満たない生徒を入れることで、高校全体のレベルが下がっていくことが予想される。
加えて大学は経営難からこうした学生を受け入れていく。競争を経ずに大学生になっていくのだ。こうした現状を憂えているのが代ゼミの共同代表・高宮敏郎氏である。「代ゼミ旋風と予備校バブル」の記事で語っている。
頑張る生徒救う装置
「そこには競争がないのです」「一方、中国やインドなど経済発展が著しい国々では、非常に厳しい大学受験競争が繰り広げられている。(略)日本の学生も大学卒業後はこうした国々の若者と渡り合うことになる」として、「大学入試から競争をなくしていくことが、はたして日本の教育にとっていいことなのでしょうか」と警鐘を鳴らす。
では予備校は何をするのか。高宮氏は「生徒たちのセーフティーネットでありたいと考えています」とし、「じゃあもう一年がんばろうという生徒を救う装置として存在したい」と語る。部活に打ち込んでいた、より上を目指したい、競争を勝ち抜きたい、そうした生徒を支える。形や方式は変わっても、予備校本来の在り方に、原点に回帰しているようだ。
(岩崎 哲)





