米国で「福音派」と呼ばれるキリスト教保守派の人々がトランプ政権の強固な支持基盤になっていることは日本でも知られるようになった。米国人の4人に1人と言われる福音派は、聖書を「神の言葉」として文字通りに解釈するのを特徴とする。この聖書解釈が神による「創造」に対する確信と「進化論」の否定へとつながっている。
米航空宇宙局(NASA)の有人宇宙船「オリオン」が先ごろ、地球に帰還した。NASAが主導する国際月探査「アルテミス計画」の一環で、月を周回する今回のミッションは成功した。中国に対抗し2028年までに人類の月面再訪を目指す同計画の前進に米国は沸いた。
平均的な日本人から見れば「非科学的」と言える創造論を信じる人々に支えられるトランプ政権がアルテミス計画をはじめ宇宙・AI(人工知能)開発など科学技術の飽くなき開発意欲を示す現状をどう捉えたらいいのか。
この疑問に答えてくれそうな思想家がいる。オンライン決済サービス「ペイパル」の共同創業者で、キリスト教保守派として知られるピーター・ティールだ。
トランプ大統領や、共和党の次期大統領候補と目されるバンス副大統領の後ろ盾となっているティールに関する論稿が月刊誌5月号に2本載っている。「世界は終末を迎えているのか」(「文藝春秋」)と、「メシアを求めるアメリカ、混ざり合う日本」(「Voice」)だ。
2本とも対談をまとめた論稿で、前者はティール本人と家族人類学者エマニュエル・トッドという大物同士。まずこの対談から見ていこう。
フランス人でカトリックの洗礼を受けながらも「信者」でも「無神論者」でもないと自己規定するトッドはキリスト教から距離を取って世界を俯瞰(ふかん)する。そして『西洋の敗北』(文藝春秋)の著書を持つ彼は「宗教としてのあり方」から見れば、現代は「宗教のゼロ状態」が続いているのだという。
正月には初詣客で神社仏閣がにぎわい、受験シーズンともなれば「学問の神様」は合格祈願の受験生・保護者が訪れて忙しくなる日本では、宗教のゼロ状態にあるのかと問われるなら意見は分かれるだろうが、西洋においては当てはまるのだろう。
その西洋で顕在化するのが個人の弱体化や社会の衰退だ。そこでトッドは「私は最近になってようやく『宗教』が社会的・歴史的要因として思っていた以上に重要だ」と気付いたというが、「宗教が再び復活するとは思えません」と、宗教の将来には悲観的だ。
一方、プロテスタントのティールは「終末論的な歴史観」を軽視するようになった西洋の伝統的なキリスト教徒と異なり、「恐ろしい現実を直視することこそ、前に進む唯一の方法」だとして、真っ正面から終末論的な世界観に向き合い論を進める。
ティールは起業家でもある。米国の衰退を強調するトッドとは対称的に、米国はテクノロジー分野で依然として世界で優位に立っていると楽観的な見方を示す。そして「人類滅亡のリスク」に直面しても、それはすでに聖書で「世界の終わり」として予言されていたことであり、問題はその時「地上に信仰を見いだす」ことができるか、なのだと問い掛ける。
現在、世界のキリスト教徒は約25億人と言われる中で、日本の信徒は1%のみ。キリスト教的な思考体系を持つ人間が少ない日本で、歴史は一つの目的に向かって進むと捉える合目的な歴史観は現在、マルクス主義者などに見られるだけで馴染(なじ)みが薄いが、キリスト教を背景としながらも歴史の現在地にある「人類滅亡のリスク」に対する異なる二つの見方は日本人にとっても興味深い。
ここでトッドの悲観論に戻るが、「宗教のゼロ状態」から虚無(ニヒリズム)の「神格化」と人や物や現実の破壊衝動が生まれると分析する。これを乗り越えることができるとすれば、それは何か。彼は「宗教」ではなく「国家」だという。
なぜなら、トッド自身はユダヤ人やカトリックとしてのアイデンティティーは強く感じなくとも「自分はフランス人で国を愛している」という感覚は自然に抱いているからだというのだ。人間のアイデンティティーは、宗教よりも民族や国民意識の方が勝るという感覚は、平均的な日本人でも理解できるのではないか。
一方、聖書の終末論的な見方を取るティールは、環境破壊などの「人類滅亡のリスク」だけでなく「全地球的な全体主義国家のリスク」も提示する。これは「黙示録的な政治リスク」であり、聖書の言葉で言えば「反キリスト」、つまり歴史の最後に「全世界を支配する独裁者」が現れるリスクで、「反キリストは、人々に絶えず破滅や滅亡のリスクを語り続けることで権力」を握るというのだ。
ニヒリズムの克服に「国家」を見たトッドに対して、ティールはその国家の先に「『科学技術の統制』を約束することで権力を握る」全体主義的な「世界統一国家」の出現を予感しているのだ。彼の信仰観では、テクノロジー開発は神の創造性が人間を通じて現れることだから、それを統制することは反キリストであり神否定になる。宇宙・AI開発など科学技術の開発意欲を示すトランプ政権の思想的背景を成す福音派の見方である。
「Voice」の対談を行ったのは、米国の保守派とテック業界におけるキリスト教復興などを研究する関西学院大学神学部准教授の柳澤田実と、ロバスト・インテリジェンス共同創業者でAIの脆弱(ぜいじゃく)性を研究する大柴行人。キリスト教とシリコンバレーの実情に詳しい2人の日本人の目にティールのような人間はどう映るのだろうか。
まず、大柴はシリコンバレーの起業家を突き動かすのは金儲(もう)けではなく「キリスト教のメシア(救世主)的な使命感」であり、それが「凄(すさ)まじいエネルギーで技術を開発し、世界を変えよう」という「熱狂」につながっていると指摘する。
柳澤も「終末論的な世界観とテクノロジーの加速主義は表裏一体の関係」としながら「混沌とした世界のなかで新技術を開発し、AIの進化によるシンギュラリティ(技術的特異点)を突破することこそが世界を救う唯一の道であるという発想が、彼らのメシア的な使命感と結びついている」と大柴同様の見方を示す。
また、日本は米国の後追いしない方がいいという点でも2人の意見は一致する。大柴は「よく『日本人は無宗教』と言われるのは、たんに『西洋的な定義に当てはまらない』というだけ」とした上で、「西洋が近代化の過程で明確に切り離した信仰・政治・経済が日本の神社仏閣においては未分化に重なり合う拠点として、日常のなかにオーガニック(有機的)なかたちで存在」していたのだから「こうしたミクロな『混ざり合った感覚』をノスタルジーとしてではなく、実践として取り戻すことは、現代の硬直したシステムとのバランスを再構築するヒントになるはず」と訴えた。
興味深いことに、キリスト教保守派の強固な思想を持つティールも前出の対談の最後に、日本人はグローバルスタンダードよりも日本の宗教土壌の特異性に目を向けるべきだとして、次のように述べている。
「日本は、悪い形態のグローバリゼーションの影響を最も受けずに済んだ場所で、日本の皆さん全員が真に守り抜くべき特別な何かをもっています」。日本人に向けたリップサービスでないと受け止めたい。実に示唆に富んだ二つの論稿である。(敬称略)





