トップオピニオンメディアウォッチ「中道」のジレンマ “反権力”に決別できず

「中道」のジレンマ “反権力”に決別できず

 先の衆院選で浮き彫りになった有権者の政治意識のトレンドを一つ挙げるとすれば、権威・権力批判に終始する政党に辟易(へきえき)していることだ。そんな政党は今回、軒並み大敗した。

 立憲民主党と公明党が結成した中道改革連合(以降、中改連と呼ぶ)は公示前の167から49に減らして歴史的惨敗となった。また、共産党の獲得議席数は半減し4になり、れいわ新選組は7減って1確保するのがやっと。選挙前0だった社民党は議席獲得がならなかった。

 これらの野党の敗北要因は一つでないにしても「反高市」「反自民」、今風に言えば「アンチ」に拘泥するだけで国民に希望を与えるビジョンを提示できない体質が、特に生活に不安を抱える若者層から嫌われたことが大きい。

 「中道」を旗印に掲げた中改連は「アンチ」ではないとの反論があるかもしれない。綱領は「対立を煽り、分断を深める政治」を否定するが、立民から加わった政治家の中には、中道の名にふさわしくない左翼がいて高市批判に明け暮れている。ついでに言えば、野党と共に「高市下げ」に熱を入れてきたオールドメディア、特に左派のテレビ・新聞も衆院選の〝敗者〟と言える。

 日本思想史を専門にする社会構想大学院大学教授の先崎彰容(あきなか)が自身の論考「日本人よ、健やかであれ──高市政権と描くべき国家像」「Voice」3月号)で、世界的な傾向となっている権威の崩壊について興味深い分析を行っている。

 世界は近年、「集中」から「分散」の方向に進んでいる。日本もこのトレンドの中にあり、国の在り方は中央政府の権限を軽くし、地方分権的になっている。この傾向は1990年代から続くものだが、それは「新自由主義がもたらした末路」で「『権威』が勝手に崩れた、より正確に言えば|溶≪と≫けてしまったのが、現在の世界でしょう」と述べている。重要なのはこの後だ。

 「その事実をふまえずに依然として権威を批判することが自分たちの使命だと考えていればこそ、立憲民主党のような政党は支持を集められないし、挙句には今年一月には公明党と新党を結成した」

 中改連が立ち上がったことで中道とは、仏教思想に由来するもので、単に右と左の中間という意味ではなく本質に迫るための“道”だということは知られるようになった。宗教ならそれでいいが、政治における中道は選挙戦術としてはあり得ても、その道が目指すビジョンとは何か、これが改めて問われることになる。目指すべき国家像を欠いた新党は、何のための中道なのか分からないし、将来への希望を国民に与えることもできない。

 公明と合流した立民は時に左に寄り時に右に、と軸足が定まらず、ただ反自民・反権力で存在感を示そうとしてきた。アンチに拒否感を示す有権者が多くなったことで、衆院選の敗北は目に見えていた。追い詰められ、先崎の言葉を借りれば「挙句」に中道を旗印にした新党結成だった。

 左に寄るとは、共産との共闘路線を取り“立憲共産党”とやゆされたことで、右に寄るとは、国民民主党代表の玉木雄一郎を首相候補に担ごうとして失敗したことだ。中道とは誠に使い勝手のいい言葉で、軸足(国家像)が定まらないことを覆い隠すのに役立つのである。では、公明が新党結成に踏み切った理由はどこにあったのか。

 「その最大の理由は、高市首相への対抗である」。こう指摘したのは中央大学教授の中北浩爾だ(「中道改革連合とは何か」「世界」3月号)。連立を離脱した経緯を考えれば「反高市」があったのは間違いない。さらには、中規模政党は小選挙区で勝てないと判断。自民のリベラル派や国民民主を含めた“中道改革勢力”の結集を模索したが、結局寄ってきたのは、衆院選での敗北が確実視された立民の議員だけだった。

 新党結成の時期も悪かった。国家像が反映される憲法問題・安全保障・原発などの基本政策におけるスタンスの違う政治家が選挙の直前に集まったことから、有権者から「野合」「選挙互助会」と捉えられた。お互い追い詰められ、しかも有権者が嫌うアンチのにおいを消すことができない二つの党が合流しても選挙に勝てるはずがない。

 中北の論考は投開票前に寄稿されたもので、新党は「選挙で勝てば求心力が高まるが、惨敗すれば、最終的に解党を余儀なくされるかもしれない」と当たり前のことを述べているが、物足りない。政治学者ならば、選挙戦術として結党されても目指すべきビジョンを欠いたのでは惨敗するのは間違いなし、となぜ言えなかったのか、と訝(いぶか)ってしまう。

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