飽きずに空論唱える
「時代の変化から目を背け、立ち止まるのはもうやめよう」―。そんな安倍晋三元首相の呼び掛けのもと、戦後の防衛政策を転換させた安全保障関連法が成立して10年が経(た)つ。「あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う」(安倍氏)という普通の国なら当然の法整備で、集団的自衛権の限定的行使を可能にし、日米同盟を飛躍的に発展させ、抑止力を高めた。
同法が成立しなければ、日米同盟を強化せず中国の海洋進出も容認するという「誤ったメッセージ」になりかねなかった。そうなれば極東に安保の穴が開き、その隙を突き中国が野望をたぎらせたに違いない。同法はまさに安倍政治のレガシーである。
読売は言う、「(同法が)審議されていた当時、野党などは『米国の戦争に巻き込まれる』などと批判していた。だが、現実には北朝鮮は核・ミサイル開発を進め、中国は日本周辺で軍事的な威圧を強めている。野党のそうした主張が空論であるのは明らかだ」(21日付社説)。
それでも朝日は「安保法10年 疑問符は今も」(18日付)と飽きずに“空論”を唱え続けている。いわく「強い反対を押し切って成立にこぎ着けた」「憲法論の観点からは『違憲』との厳しい指摘が突きつけられた」「数の力を背景にした安倍政権の姿勢には民主主義論の観点からも疑問符がついた」と。いずれも左翼憲法学者や日本共産党など左派勢力が叫んでいた反対論で、当の朝日は「戦争法」のレッテルを貼った。
筋違い朝日の違憲論
不可解な反対論だ。国会での同法を巡る審議時間は衆参両院で計220時間2分。安保関連法で最長の国連平和維持活動(PKO)協力法の193時間16分を超え、さまざまな視点から審議がなされた。それでも朝日は「数の力」で同法を成立させたと言い募る。「数」は法律案の議決を定めた憲法59条に従ったものだ。朝日は護憲と言いつつ、憲法行為まで否定して反安保関連法、反安倍を今も唱え続けているのだ。こういう姿勢こそ、民主主義論の観点から疑問符が付く。
違憲論も筋違いだ。国連憲章第51条は「個別的又は集団的自衛権」の行使を国家の「固有の権利」と認めている。岸信介内閣は1958年、「日本にも制限された意味での集団的自衛権はある」としていた。ところが、鈴木善幸内閣は81年、この政府解釈を改め「保有しているが、行使は違憲」とした。こんな解釈は世界のどこにもない。論理的にもあり得ない。例えば、表現の自由は保有するが、表現できないというのと同じで、それでは結局、表現の自由がないに等しい。集団的自衛権もむろん自衛権であるから自衛権の放棄に等しい。
それで安倍内閣は政府解釈を改め限定的行使を合憲とした。それこそ中国の大軍拡という「時代の変化」から目を逸(そ)らさず、「立ち止まる」のをやめた結果で、違憲でもなんでもない。法成立5年後の2020年11月に行った朝日の世論調査でも「賛成」46%、「反対」33%と賛成が反対を凌駕(りょうが)し国民の理解も進んだ。
法の凍結求める朝毎
すると朝日は新たに「恣意的運用 厳格な歯止めから」(19日付社説)と歯止め論を唱えた。毎日はこれに呼応し「歯止めの議論 今こそ必要」(27日付社説)とし、「集団的自衛権の行使に歯止めをかける仕組みを構築することだ」と言った。歯止めとは「車輪の回転をとめる装置」すなわち同法を凍結させようという魂胆なのだ。
東京は一歩踏み込み「専守防衛という本来の姿に戻すには、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定と安保法を全面的に見直すしかない」(19日付社説)と同法の事実上の廃止を唱えている。これを真に受ければ、間違いなく日米同盟は破綻し中国の軍門に下ることになる。なるほど東京は「中日新聞」である。左派紙はいつになっても時代の変化から目を背け、立ち止まり続ける容共・守旧派なのだ。
(増 記代司)





