トップオピニオンメディアウォッチ報道を政治的に利用し日本が共産中国の軍門に下るよう勧める朝日

報道を政治的に利用し日本が共産中国の軍門に下るよう勧める朝日

親中路線の深化狙う

 石破茂首相が辞任を表明し政治の舞台は自民党総裁選に移ったが、参院選敗北後、50日目の辞任表明はいかにも往生際が悪かった。有権者による「審判」(選挙結果)を蔑(ないがし)ろにするものだ。その背景には朝日などの左派メディアの「石破続投」支援があった。選択的夫婦別姓の導入などリベラル政策を推進させたいからだが、朝日にとっては親中路線の深化こそ真の狙いだった。そこが政局報道の盲点だ。

 参院選直後、朝日は「職を辞すのが筋だろう」(7月21日付社説)と断じたが、すぐに翻意した。それは安倍晋三元首相が戦後に区切りをつけた2015年の「安倍談話」を覆し「謝罪外交」を復活させたいためだ。8月7日付社説「戦後80年と首相 歴史の教訓 臆せず示せ」が石破首相に謝罪談話の発出を迫っていたことからそれが知れる。

この思惑は石破首相の党内基盤が弱く実現しなかった。すると朝日は自ら「歴史の教訓」を終戦記念日の社説で掲げた。「戦後80年と日本 歴史を見過ごさないために」(8月15日付社説)がそれだ。

 その中で、「日本と戦う連合国に中国」が含まれていたとし、中国共産党にとって「対日戦史は政権の正統性の大事な柱だ。記憶は風化するどころか増幅される」と論じ、「国際協調主義」への回帰を唱えた。安倍元首相がけりをつけた「戦後」をぶり返し、謝罪外交を迫っているのは明らかだった。これを石破首相に迫りたかったのだ。

 朝日の視点は疑問だらけだ。連合国にいたのは中華民国で共産中国(中華人民共和国)ではない。日本軍と戦ったのは国民党軍で共産党軍ではない。彼らに「対日戦史」はほとんどなく、それを根拠とする「政権の正統性」もない。共産党の増幅させたい「記憶」は虚偽の類いなのだ。これこそ「共産党史観」である。わが国がこれに同調するなら中国の軍門に下ったに等しい。それを暗に朝日は勧めている。

報道の自由売り渡す

 なぜ石破外交に期待しているのか。それは石破氏の政治の師匠が中国との国交回復(1972年)を果たした田中角栄元首相だからで、日中国交は石破首相の琴線に触れるからだ。その日中国交を背後で操っていたのが朝日である。その原点は60年代の文革(文化大革命)報道だ。

 文革は毛沢東による壮大な権力闘争だったが、朝日はそれに歩調を合わせ、人民日報ばりの文革礼賛(らいさん)記事を書いた。これに対してサンケイ(当時)、毎日、西日本の特派員らは文革の実態を打電し続け、67年9月に「文革を中傷し、反中国活動を行った」として国外追放された。

 その結果、中国に残った日本人記者は朝日の秋岡家栄特派員1人だけとなった。朝日は北京と手を握り、68年に「政治3原則」を受け入れた。3原則は①中国敵視政策をとらない②「二つの中国」に加わらない③日中国交の回復を妨げない―で「報道の自由」を中国に売り渡すものだ。

 当時、日中国交が政治課題になっており外交政策を考える上で中国の正確な情報が必要だったが、朝日は林彪事件(林彪副主席による毛沢東暗殺未遂クーデター)を覆い隠し、中国の政治安定を演出して日中国交をけしかけた。

 これを批判されると、広岡知男社長(当時)は「私には復交を第一に考えるべきだという大前提がある。中国と握手しようとするときに横っ面を張れない」などと開き直った(『マスコミ文化』第11号)。朝日が真実を報じるジャーナリズムではなく、報道を政治的に利用するプロパガンダ(扇動)新聞であることを社長自ら白状したのだ。これが朝日の中国報道の原点だ。

「次なる石破」神輿に

 混迷する世界の中で国を守れるのか、大軍拡の共産中国の軍門に下るのか。わが国は分水嶺(ぶんすいれい)に立つ。日本は「第二の日中国交」(すなわち軍門に下る)を迫られる危険性がある。朝日は「次なる石破」を神輿(みこし)に担ごうと保守批判の論調を強めるだろう。それに乗せられれば未来はない。

(増 記代司)

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »