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「戦争と革命の世紀」の真実追究せず「国の守り」論じぬ「戦後80年モノ」

背後にコミンテルン

新聞の「戦後80年モノ」(戦争に関する企画記事)が続いているが、どうも釈然としない。20世紀は「戦争と革命の世紀」(米政治思想家ハンナ・アーレント)と呼ばれるように戦争(大戦)と革命(共産主義)が表裏一体であったにもかかわらず、戦争だけを取り上げ革命を語らない。その戦争も「戦争のない状態」の平和論のみで、戦争を防ぎ「国をどう守るか」の視点が欠落している。「戦後80年モノ」はここが大問題と思える。

まず革命について。共産革命の起点となったロシア革命(1917年)は第1次大戦の「落とし子」と言ってよい。レーニンは戦争が勃発するや、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と扇動し、ソビエト連邦を樹立。19年には世界共産化を目指して「コミンテルン」(国際的共産主義組織)を設立し、後継者スターリンは第1次大戦のような“待ち”による革命でなく、積極的に資本主義国同士をかち合わせる“先手”で世界共産化を画策した。

それがコミンテルン第7回大会(35年)で決めた「人民戦線戦術」だ。スターリンのシナリオは第一に、中国共産党に対して国民党を引き込んで抗日統一戦線を作らせ、日本を泥沼の中国戦線で疲弊させ「北進」(ソ連に向かう)の余地を与えない。第二に、日本に「南進論」を選択させ、米国と戦わせる。第三に、米国に日本を挑発させ日米戦争に持ち込むというものだ。

朝日15日付社説「戦後80年と日本 歴史を見過ごさないために」は、「日本と戦う連合国に中国が含まれていたこと」を忘れるなと、中国共産党に寄り添うかのような論調を張るが、コミンテルンの謀略工作は覆い隠している。

ゾルゲ事件に触れず

日本に「南進論」を採用させたのはゾルゲ事件(41年10月)の首謀者で朝日新聞の記者だった尾崎秀実にほかならない。同事件はドイツ紙の日本支局特派員の肩書を持つリヒャルト・ゾルゲ(実際はソ連情報機関GRUスパイ)が近衛文麿首相の側近だった尾崎らを使って日本の国策を南進論(日米開戦)へと誘導し、41年7月の御前会議で対米英戦を決意させた。朝日15日付の見開き特集「戦後80年」の「太平洋戦争、侵略の果てに」はゾルゲ事件に一切触れず、年表にも記載せず隠蔽(いんぺい)している。

日本は対米決戦を決めても米国との対話に最後の望みを託したが、それを断ち切ったのが米国の対日最後通牒(つうちょう)ハル・ノート(コーデル・ハル国務長官覚書)だった。原案を作成したのは米政府内のソ連スパイ、米財務次官補ハリー・ホワイトである。戦後の東京裁判でインドのラダ・ビノード・パール判事はハル・ノートについて「モナコやルクセンブルクのような小国でさえも、武器を取って立ち上がったであろう」と述べているが、対日強硬論のハル・ノートがスターリンの思惑通り日米決戦に至らしめたのだ。

朝日17日付「百年 未来への歴史」シリーズの「米国という振り子1 日本の奇襲、見抜いていた米大使」は当時の背景を語ってもソ連スパイの暗躍には触れない。共産主義に関わることは全て「陰謀論」として黙殺する気か。

8月の平和論の虚構

次に平和について。産経の古森義久・ワシントン駐在客員特派員は同紙15日付の「日本の『8月の平和論』に欠陥」と題する論評で、「(メディアは)平和をどう守るのか、戦争をどう防ぐのかも、まず語らない」と指摘し、「国家や社会が他国から武力で侵略され、その侵略を防ぐ自衛のための戦争も否定すれば、無抵抗、降伏となる」「『平和』という言葉の極端な呪縛のために、わが国家、わが郷土を防衛することも最初から放棄してしまう。そんな日本でよいはずはないだろう」と憤っている。新聞の「8月の平和論」はまさに虚構なのだ。

「戦争と革命の世紀」の真実を追究せず、「国の守り」も論じない新聞は、今日的な「コミンテルン路線」(中国の世界支配)に手を貸す「現代版・尾崎秀実」の類いである。

(増 記代司)

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