死球・乱闘の泥仕合
こういう社説もありだなと思った。それは産経の社説「主張」(22日付)の「大谷への故意死球 大リーグの新たな伝説に」だ。
梅雨空に雨の降らない日はあっても、テレビ、新聞、SNSに大谷翔平選手が取り上げられない日はないぐらいだ。そんな国際的ヒーローの活躍は耳目を集める。
ただ今回は、大谷選手は投打の二刀流の記録達成ではなく、その立ち居振る舞いが「称賛を集め、大リーグの新たな伝説になろうとしている」と産経は書き込んだ。
4連戦で8個の死球が飛び交うという一触即発のドジャース―パドレス戦で19日、大谷選手は九回裏の第5打席で報復死球とも受け止められるボールを投げ込まれた。
「九回表には死球をめぐって乱闘騒ぎとなり、両軍監督が退場処分となった直後である。場内が騒然とする中、大谷は一塁に歩きながら、左手でベンチを飛び出そうとするドジャースナインを押しとどめた」
「さらに両手を後ろに組んだまま笑顔でパドレスベンチに歩み寄り、七回に死球を受けたジョンソン選手を『痛みはどう?』と気遣ったのだという。これで球場は平静を取り戻した」
「『乱闘は大リーグの華』とまでいわれた米球界で、死球の当事者が両軍を鎮め、野球を壊さなかった」と同主張は称賛の声を惜しまない。
昨年10月、大谷選手が50本の本塁打と50回の盗塁成功を達成し、最後は54本塁打59盗塁まで積み上げた。
この時、他紙は指名打者に専念した昨年の記録を「打って走り、本塁打と盗塁の新たな地平を開いた」(朝日)などと投打の二刀流で知られる大谷選手が「打走の二刀流」も異次元だと社説で取り上げたが、産経は記事では取り上げたものの、社説では見送った。
死球受けた相手慰労
その産経論説委員の鉄のハートをも大谷選手は今回、打ったもようだ。それはただ単に勝利や記録の金字塔を打ち立てたというのではなく、人間としてハートに響く挙措(きょそ)があったからに他ならない。
ヒーローというのは強くたくましくチャンスに強くなくてはならない。大谷選手はそれだけではない。敵意を秘め、悪意を持った相手にすらやさしく抱擁した上で、同じ野球人としての連帯感を生み出させるような日本的「和」の精神の伝道師としても活躍している。
産経はそこにスポットライトを当てた社説を書いた。二刀流大谷選手の投げたボールは、論説委員の心のミットにも投げ込まれたのだ。同主張は「大谷の持論は『敵味方に分かれて戦っていても、野球を愛する仲間同士』というものなのだという」と総括した。誰しもスポーツマンは、厳しいトレーニングを積み、入念な準備をすることが必要不可欠だ。負傷しても孤独にベンチ入りを強いられることもある。
そうした苦行に耐えてこそ、勝利の美酒を味わうことができる。ただ大谷選手は美酒に酔うことがない。勝負師としてではなく、野球人としての矜持(きょうじ)を失うことがない。
グラウンドに落ちたごみを拾う姿も美しい。それ以上にむき出しの敵意に対し敵意で返さず、おばあさんが歩くように両手を後ろに組んで、笑顔で対戦相手ベンチを訪ね死球を受けた選手を慰労する姿は崇高(すうこう)でさえある。
「威」を持つ大谷選手
投げる時は先発投手だが、大谷選手の本質はストッパーだろう。敵意を敵意で返し暴力的な負のスパイラルに陥る道を避けるストッパーだ。こうした人間としての尊厳をも知らしめるような後光が差し込む美しさを持つ人は「威」を持つ。
それは威圧のような力でねじ伏せるものではなく、誰しもが自然屈服するハートが発する「威」だ。
(池永達夫)





