トップオピニオンメディアウォッチレオ14世を選んだコンクラーベの舞台裏を探るイタリア・メディア

レオ14世を選んだコンクラーベの舞台裏を探るイタリア・メディア

8日、バチカン市で、サンピエトロ大聖堂のバルコニーから信徒らに語り掛ける新ローマ教皇のレオ14世(中央)(EPA時事)

長期政権の後は短期

コンクラーベの結果を後日、臆測し、推測することはあまり生産的な仕事とは言えないが、ジャーナリストにはその非生産的なことにあえて時間を投入する気質の持ち主が多いものだ。ズバリ、米国人のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿がなぜ4回目の投票で第267代教皇に選ばれたか、という課題に向かって、バチカンの地元イタリア・メディアは懸命に走りだしている。

27年間の長期任期を誇ったヨハネ・パウロ2世の後継者選びでドイツ人の教理省長官だったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が2005年、4回目の投票で教皇に選出された。その理由は当時明らかだった。多くの枢機卿たちはヨハネ・パウロ2世の長期政権に疲れていたこともあって、次期教皇は短期政権となる枢機卿を願っていた。その結果、ラッツィンガー枢機卿が本格的な教皇選出前のショートリリーフとして4回目の投票ですんなりと選ばれた。ドイツ人教皇(べネディクト16世)はその時既に78歳だった。

4回目投票で大逆転

それでは英国のブックメーカーの評判も低かったプレボスト枢機卿がどうしてコンクラーベ2日目、8日午後の4回目の投票で選出されたのか。今回のコンクラーベには80歳未満の枢機卿133人が参加した。選出されるためには3分の2の支持が必要となる。この場合、89票だ。プレボスト枢機卿は4回目の投票で少なくとも89票以上の支持を得たことになる。

イタリアのANSA通信によると、トアマシナ大司教でマダガスカル出身のデシレ・ツァラハザナ枢機卿は、新教皇レオ14世との初会談後、「コンクラーベでは100票以上を獲得した」と証言している。また、イタリアの日刊紙「コリエレ・デラ・セラ」は9日、匿名情報として、「3回目の投票ではイタリアのピエトロ・パロリン枢機卿が49票で第1位、第2位はプレボスト枢機卿で38票だった」と報じた。マダガスカル出身の枢機卿の情報が正しいとすれば、プレボスト枢機卿は3回目の38票から4回目の投票で100票を超える票を集めたことになる。

コンクラーベではバチカン・ナンバー2の地位にあったパロリン枢機卿、エルサレム総主教ピエルバティスタ・ピッツァバラ枢機卿らの前評判が高かった。それではアウトサイダーだったプレボスト枢機卿がどうして4回目の投票で大逆転できたのか、というテーマが戻ってくる。

イタリアの日刊紙「イル・メッサジェロ」と「コリエレ・デラ・セラ」両紙は「最初の3回の投票を終えた時点で、プレボスト枢機卿はパロリン枢機卿に後れを取っていた。一方、パロリン枢機卿は1回目の投票で約40票を獲得したが、3回目の投票では49票と伸び悩んだ。その結果、パロリン枢機卿は教皇レースから撤退を決意したという。その理由は、ハンガリーのペーテル・エルド枢機卿のような極めて保守的な枢機卿が出てくる可能性を阻止したかったからだ」と報じている。

バチカンで人脈構築

事前に配布された候補者リストによれば、プレボスト枢機卿は教会の進歩派と保守派両陣営が合意できない場合の妥協候補と考えられていた。同枢機卿のペルーでの経歴の他、2023年からのバチカンでの司教省長官としての経歴も、新教皇選出の切り札となった可能性がある。同枢機卿は2年前にフランシスコ教皇によって枢機卿に昇格し、そしてバチカンに招かれ、その後、新司教の任命などで重要な役割を果たした。特に、バチカンで構築していった人脈のネットワークがプレボスト枢機卿を大本命に押し上げたというのだ。

コンクラーベに参加する枢機卿は携帯電話、スマートフォン、インターネットのアクセスがない状況下に置かれる。コンクラーベでの内容を部外に漏らした場合、最悪の場合破門される。バチカンは、コンクラーベ開催中は妨害電波を流し、システィーナ礼拝堂内の会話が傍聴されないようにする。一方、イタリアのメディアはコンクラーベ開催中も「その後」もシスティーナ礼拝堂での枢機卿たちの“ひそひそ話”に耳をそばだてる。]

(小川 敏)

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »