部数減で苦境の「赤旗」
「全党の力で『しんぶん赤旗』と党の財政を守ってください。お願いします」――。かつて日本共産党機関紙「赤旗」に党財務・業務委員会責任者の岩井鐵也氏のこんなお願い文が掲載された(2019年8月29日付)。日刊紙・日曜版の読者が100万を割り、発行の危機を招いているというものだった。それから5年以上経(た)ち、事態はさらに深刻化しているようだ。
毎日4月27日付によれば、昨年1月時点で「赤旗」部数は85万部まで落ち込み、日刊紙は年間十数億円の赤字を出しているため10億円の寄付を募っているという。これを朝日5月8日付は「赤旗苦境『10億円寄付を』」と、まるで寄付を呼び掛けるような見出しで報じた。「党の財政を守ってください。お願いします」と訴えたいのだろうか。
朝日は大阪万博を巡って4月11日付社会面に「赤旗」支援記事を載せた。「赤旗『万博協会が取材拒否』 開幕前のリハーサルと取材会で」と赤旗記事をなぞって伝え、「取材拒否」などと万博協会に落ち度があるかのように報じた。
これに東京が呼応し、4月15日付「こちら特報部」は「大阪万博を批判する『しんぶん赤旗』を取材拒否」との見出しで、「巨額を投じた公共事業において報道機関を選別する姿勢に異論が噴出している」と騒ぎ立てた。同問題を取り上げているのは「赤旗」と朝日だけなのに、それを「異論が噴出」とは首をかしげる。記者はこの2紙だけしか読んでいないのか。
不透明な運用と批判
毎日では放送タレントの松尾貴史氏が4月20日付コラム欄で「メディアを選別・排除するやり方に、大きな違和感を禁じ得ない」「特定のメディアを排除する姿勢」などと万博協会を批判した。「赤旗」は政党機関紙であって一般的なメディアではない。それを松尾氏は臆面もなく「メディア」と呼び続けている。よほど「赤旗」に親近感を抱いているのだろう。
朝日は「万博赤旗問題 不透明な運用を戒めよ」と題する社説まで掲げた(4月26日付)。同社説は万博協会のメディア向け指針の禁止事項にある「特定の政治、思想、宗教等の活動目的に利用されるおそれがある事項」や「万博の品位を傷つけ、または正しい理解の妨げとなるおそれがある事項」を「赤旗」に適用していると批判し、「恣意(しい)的な解釈で取材・報道の自由を狭めてはならない」と主張。「取材・報道の自由」を口実に「赤旗」を後押ししている。
だが、万博協会の対応に非があるとは到底思われない。特定の政治目的に利用されたり、万博を妨害する恐れがある行為を禁止したりするのは当たり前の話だ。協会はメディア向けの取材許可証の発行対象者として①報道機関②フリーランス③インフルエンサー④その他――に分類。「政党機関紙は報道機関の類型には該当せず、報道機関と取り扱いが異なる」とし、「赤旗」を「その他」として取材許可証を出してこなかった(産経ネット版4月24日付)。これは常識的見解で「恣意的な解釈」とは言えまい。
そもそも万博協会は「赤旗」を入場禁止にしているわけではない。入場料を支払って“取材”すれば済むだけの話だ。それでも取材許可証を発行せよというのは、「赤旗」の出費を抑える「財政支援」にほかならない。何のことはない、朝日も東京も松尾氏も、共産党の「寄付」の呼び掛けに応じているのだ。
機関紙を同列に扱う
共産革命の祖、レーニンは「社会主義の公然たる宣伝の道、公然たる政治闘争の道に進みでるときは全国的政治新聞が不可欠である」(『イスクラ』編集局声明草案=1900年2月)とし、「新聞は、集団的宣伝者および集団的扇動者であるだけでなく、集団的組織者でもある」(『なにをなすべきか』1902年)とした。それが「赤旗」だ。報道機関では決してない。それを朝日などの左派紙は自らと同列に置く。「同じ穴のムジナ」の証である。
(増 記代司)