トップオピニオンメディアウォッチ憲法記念日でさえ「公共の福祉」の曖昧さを論じぬ人権意識の後進性

憲法記念日でさえ「公共の福祉」の曖昧さを論じぬ人権意識の後進性

空気で解釈を決める

「憲法記念日」(5月3日)になると、毎年、めでたさよりも法を突き詰めて考えず何事も〝空気〟で決めてしまう日本人にため息が出る。

NHKが放送した憲法記念日特集「〝SNS時代〟の選挙は 民主主義は」で、各政党代表者がネット規制を論じた。偽情報が拡散され、選挙結果を左右する事態が起きているから規制はやむを得ないとの空気で議論は進んだが、ならばテレビ・新聞の偏向報道はどうするのか。それは誰も口にしない。

また、日本維新の会・青柳仁士が「表現の自由」と「公共の福祉」がバッティングすることがあると語った。せっかくの憲法記念日だ。ならば公共の福祉とは何か、と突っ込んだ議論になってしかるべきだが、そんな流れにはならない。ならば流れに逆らい、筆者が深掘りしよう。

憲法は12条で、国民は基本的人権を「常に公共の福祉のために利用する責任を負う」とする。また、13条で、国民の権利は「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めている。

つまり、個人の自由や権利は最大限尊重されるが、無制限ではなく、それらを制限する際に使われるのが公共の福祉なのだ。しかし、ここで問題が生じる。その概念が曖昧(あいまい)なことから解釈次第では、権力者が人権侵害を正当化する武器にできるのである。

人権重視の左法律家

この問題は、憲法論議の重要なテーマの一つで、それを口を酸っぱく言ってきたのがいわゆる人権派弁護士だ。中でも〝国家権力〟を敵視する左翼の法律家たちは人権を重視し、公共の福祉の拡大解釈を危険視する論を展開してきた。

空気に弱く〝村八分〟という言葉も残る社会に生きる日本人にはピンとこないだろうが、公共の福祉の危険性を察知し、その定義を明確にせよと繰り返し勧告してきた国連機関がある。自由権規約委員会だ。1979年に国際人権規約を批准したわが国政府には、規約を守る義務が生じている。

日本弁護士会がまとめた「2022年10月第7回日本政府報告審査―人権政策の改革を求めた自由権規約委員会総括所見」は次のように記している。

第1章で「国際人権(自由権)規約は、法的な拘束力を持つ国際的な権利章典」とした上で、第11章「思想良心・表現の自由の危機」の一番目に「公共の福祉」を挙げ、次のように述べている。

「自由権規約18条3項及び19条3項は、宗教・思想良心・表現の自由に対する制約根拠を厳格に規定していますが、日本国憲法における制約根拠とされる『公共の福祉』の概念が不明確であるため、その条約適合性が明らかになるよう『公共の福祉』の定義を明確にするよう求めています」

自由権規約と国内法との適合性に問題があることは日本政府も分かっていた。前者は信教の自由の制限には公共の福祉という言葉は使わず「公共の安全」「公共の秩序」というより明確な言葉を使っているのだ。

法令の意一夜で変更

日本の宗教法人法は教団の解散要件を「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」と定めるが、メディアで世界平和統一家庭連合叩(たた)きが起きるまでは「法令」とは刑事事件に限定していた理由もここにある。法の拡大解釈によって信教の自由が侵害されることを防ぐためだった。それが権力者の都合で一夜にして民事案件も入ると解釈変更し司法もそれを是認してしまったのである。

東京地裁が民事案件を理由に教団の解散命令を決定して迎えた今年の憲法記念日。曖昧(あいまい)な概念である公共の福祉が権力者の武器として使われれば信教の自由が侵害されてしまう、と警告する政治家がいないのは、空気に弱く人権意識が高まらない日本を象徴するものと言える。(敬称略)

(森田清策)

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »