内心表白強制されず
「衆憲資」。聞きなれない名称だが、かつて衆議院で憲法論議が集中的に行われた際、事務方がまとめた資料集のことだ。衆院憲法審査会資料を略してこう呼ばれた。その衆憲資第43号に「思想良心の自由・信教の自由・政教分離」に関する資料がある。2004年3月に開催された「基本的人権の保障に関する調査小委員会」に提出されたもので、その中にこんな一文がある。
「思想・良心の自由は、人の内心の表白を強制されない、沈黙の自由も含むものである。したがって、国家権力が思想調査をしたり、江戸時代にキリスト教信者を摘発するために行われた踏絵のような、精神的な意味を有する発言や行為を強制することは、それじたい憲法19条に違反することとなる」(樋口他・注解Ⅰ382~83年〔浦部〕)。
法学者、浦部法穂氏の『全訂 憲法学教室』(日本評論社2000年)からの引用で「樋口」とは憲法学の権威とされる東大名誉教授の樋口陽一氏と思われる。思想・良心の自由を記す憲法19条に対する憲法学者の一致した見解だ。
これを思い出したのは、護憲派を自認する朝日と毎日が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する東京地裁の解散命令を巡って憲法19条を踏みにじり、歪曲(わいきょく)するような社説を掲げていたからだ。
毎日3月26日付社説は「(自民党が教団との)関係を清算するには、徹底的な調査と検証が不可欠だ」とし、朝日27日付社説は「最近、選挙支援などで教団の信者が自民議員に再接近する兆しもある」とし、「(自民党は)組織的な関係を包括的に検証し、決別の意志」を示せと迫っている。
自民議員に“踏み絵”
朝毎は自民党議員らの「沈黙の自由」を拒み思想調査を思わせる「徹底調査」を迫り、「踏絵のような、精神的な意味を有する発言や行為」を強制しようとしている。朝日に至っては信者個人の思想・信条の自由(政治活動はその一環)に立ち入り、衆憲資にある「それじたい憲法19条に違反」を地で行っている。
22年10月の参院予算委員会で立憲民主党の打越さく良参院議員が山際大志郎経済再生担当相(当時)に教団の信者かどうかをただす「違憲質問」を平然と行ったことがある。打越氏は弁護士でもあるが、立憲民主党議員の憲法認識はこの程度のものだ。護憲派新聞はこれを看過した。朝毎の社説は打越発言に匹敵する違憲記事のように思える。
かつて朝日の「憲法を考える」シリーズで宗教学者の島薗進氏は「揺らぐ政教分離」と題して、こう語っていた(17年2月9日付)。「立憲主義の核心には、多様な生き方考え方を守り、国家が個々人に特定の信念を強要することを許さない、という理念があります。日本の精神文化を豊かにしてきたのは、仏教や神道、儒教、キリスト教など多様な宗教で、政教分離は多様な信念体系の共存を守るものなのです」
ところが島薗氏は今回の教団解散命令に対して朝日紙上で「妥当」とし(3月26日付)、「法の見直しや、省庁横断的にカルト的団体を監視する機関の設置など、さらなる対策の強化も必要だ」と述べ、国家に「個々人に特定の信念(カルト排除)を強要」する監視機関の設置を求めている。お見事な豹変(ひょうへん)ぶりだ。この人の憲法認識もこの程度か。
豹変し二枚舌を駆使
朝日の「憲法シリーズ」では編集委員の豊秀一氏はこうも言った(16年4月14日付)。「世の中には、社会に迷惑をかけてでも、守らなければならないものがある。例えば、デモ。石破茂・地方創生相はかつて、特定秘密保護法反対デモをテロに例え批判を浴びたが、うるさくても、交通の邪魔になっても、議会制民主主義を補完する、主権者に認められた大事な手段だ」
それが教団問題では一転して「主権者に認められた大事な手段」である政治活動を信者個人にも認めようとしない。こちらも見事な豹変ぶりだ。これを世間では二枚舌というのである。
(増 記代司)