信仰の自由ない中国
東京地裁が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に対して解散を命じる決定を下したが、この決定には中国の高笑いが聞こえてきそうだ。
信仰の自由は近代にあって基本的人権の基本の基本である。このことは世界的常識だろう。中国共産党とて憲法で「信仰の自由を有する」としている(36条)。が、その後段が問題である。同条は続けて「国家は、正常な宗教活動を保護する」とし、その「正常」か否かの判断は当然のごとく共産党政権が行う。
「正常」と見なされない、つまり共産党の意に沿わない宗教団体には「カルト」のレッテルを貼って弾圧する。安倍晋三元首相銃撃事件後、テロ犯・山上徹也容疑者の犯行動機が教団への恨みなどと日本のメディアが騒ぎ立てると、中国は「(教団を)いち早く邪教(カルト)と認定し非合法化してきた」と自賛した。
共産党系の環球時報は「中国のカルト一掃の正しさを示した」とし、「(山上容疑者が)もし中国で暮らしていれば、政府は彼が正義を追求するのを助け、この宗教団体を撲滅しただろう」と日本に“説教”を垂れ、テロ犯を擁護した。(共同通信=毎日2022年7月30日付ネット版)
その後、教団問題は中国の説教通りの展開となった。銃撃事件後に消費者庁が「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」を開いた際(22年8月29日)、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の紀藤正樹弁護士は「カルト問題キリスト教連絡会」の電話一覧表を資料として持ち込み、教団をカルトと断じ、政府に介入(教団撲滅)を求めた。紀藤氏は中国と同一の思考回路を露見させたのである。
メディアも決めつけ
左翼メディアも教団をカルトと決めつけ、テロ犯への同情を煽(あお)り、「正義を追求するのを助け」るかのように反教団キャンペーンを張って撲滅を目指した。今回の地裁の教団解散命令はこの構図をなぞっている。
民主主義社会においては「真実の追求」がジャーナリストの使命とされるが、日本のメディアはそれを事実上、放棄した。地裁の解散決定に対して決定をそのまま報じるだけで、「真実」を探ろうとした新聞は皆無に等しい。これを世間では御用新聞と呼ぶのである。中国の新聞と瓜(うり)二つなのだ。
杉原誠四郎・元武蔵野女子大学教授は「非公開の行政行為としての解散命令」を問題視し(本紙26日付)、「文科省の提出した被害者と名乗る人の陳述書は内容が杜撰(ずさん)であり、証拠能力の点からも疑問があり、公開の裁判で審理すべきだ」と指摘している。こうした視点も、むろん新聞は持ち合わせていない。
とりわけ左翼紙は日頃、声高に唱える憲法を封印してしまった。憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」とし、82条は「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う…憲法第3章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は、常にこれを公開しなければならない」と定めている。このことを語る新聞も存在しない。公開なき裁判――、それこそ中国のお家芸だ。
日米同盟離反に警鐘
国会で被害者救済新法が論議されていた22年11月、細野豪志衆院議員が産経ネット版(同8日付)でこう述べていた。「(銃撃事件で)選挙という民主主義のプロセスが破壊された。テロリストの思惑を端緒に立法を行うことは、正しいのか。加害者を『成功したテロリスト』にしてはならない」
解散命令はまさに「成功したテロリスト」を作り出す、中国の“説教”を地で行くものだ。ニュート・ギングリッチ元米下院議長は24日にX(旧ツイッター)で、「(日本での)家庭連合に対する現在の攻撃は日米同盟を弱体化させ、中国共産党と日本の和解のきっかけをつくろうとする試みだ」と投稿し、警鐘を鳴らしている(本紙、産経26日付)。この見解はあながち的外れではないのである。
(増 記代司)