反キリスト教との「文化戦争」
安倍晋三元首相の暗殺事件をきっかけに、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)バッシングが繰り広げられる一方で、信教の自由を保障するための「政教分離」の原則が誤って解釈され、政治と宗教は切り離されるべきだとの誤解が広まっている。誤解というよりも、旧統一教会を社会から排除するための恣意(しい)的曲解と言った方がいいのかもしれない。
ところが、内政から外交まで宗教と密接に関わり動くのが世界の現実だ。例えば、宗教的なバックボーンが歴史に残る改革をもたらした例としてよく挙げられるのは、英国のマーガレット・サッチャー元首相による「サッチャリズム革命」だ。小さな政府と市場原理を重視し自由化・民営化を進めた背景には、キリスト教メソジスト派の敬虔(けいけん)な信徒家庭で養われた自助の精神があった。
政治を知るには宗教を理解する必要があるというのが世界の常識だが、日本の政治家も有権者もこの現実に疎い。そんな日本人は今、同盟国・米国で「常識の革命」を掲げてトランプ第2次政権がスタートしたことで、この現実を直視させられている。その革命の中核にあるのがキリスト教的価値観だからだ。
上智大学教授・前嶋和弘氏の「対イスラエル、ロシア外交にも及ぶ福音派の影響」(「中央公論」4月号)は、トランプ氏が掲げる「アメリカ・ファースト」の行動原理にキリスト教福音派が強い影響を及ぼしていることを解説している。この論考を中心に、トランプ政権と福音派の関わりの深さを見てみよう。
トランプ大統領の言動を見ていると、彼自身にキリスト教徒としての篤実な信仰があるようには思えないが、福音派への配慮があるのは間違いない。それが再選の最大の原動力になったことに対する「恩返し」「利益還元」(前嶋氏)であり、また来年秋の中間選挙による共和党勝利に向けた実績づくりであったとしても。
そこから生まれたトランプ氏の行動原理について前嶋氏は、その中核に「『文化戦争』を据えているように見える」と指摘する。福音派は聖書の言葉を一字一句そのまま信じる熱心なキリスト教徒だ。つまり、文化戦争とは「反キリスト教的偏見の根絶」であり、常識の革命とは、キリスト教的常識の復活ということになる。
そのために採られたのが「ホワイトハウス信仰局」の新設だ。「信仰に基づく団体が政府補助金を調達できるよう支援する一方で、多様性支援の各種政策を止めていく」のが信仰局の仕事だと前嶋氏は解説する。トランプ氏が大統領就任式で「性別は男と女のみ」にするとの方針を示したのも、キリスト教的常識の復活の一環である。米国と同じ自由・民主主義国家で、政教分離を原則とする日本だが、内閣府に信仰局を設けることなど、有権者も政治家も思いも及ばないだろう。
それだけではない。トランプ氏が「気候変動対策はフェイクサイエンスだ」と発言したのも、「地球温暖化は神の摂理」と考える傾向がある福音派への配慮だと前嶋氏は述べている。この他、人工妊娠中絶を「女性の権利」としてきたリベラル政策を転換したのも福音派の論理が関わっている。
「子どもは神さまからの授かりもの」。ここまではキリスト教文化圏でない日本人でも共感する人は多いはず。しかし、福音派の論理はこれにとどまらない。前嶋氏は次のように説明する。
「望まれない妊娠などはない。たとえレイプであっても、近親相姦であっても、神が祝福するから子どもが生まれるのだ」と考えるのだと言う。ここまでくると、日本人は絶句してしまうだろうが、とにかく福音派はこのように考えていることは知っておいた方がいい。
福音派の影響は外交にも及ぶ。分かりやすいのはイスラエル支援だ。『旧約聖書』には「神はユダヤ人にパレスチナの地を与えた」とあり、『新約聖書』の「黙示録」にもこの世の終わりには、ユダヤ人はパレスチナをハルマゲドン(善悪の最終決戦)にして、そこにイエスが再臨する、とある。だから、エルサレムからイスラム教徒は排除しなければならないと考えるのだ。イスラエルとイスラム組織ハマス、ヒズボラとの戦闘、米軍によるイエメンのフーシ派への軍事行動など中東情勢も聖書の記述との関連で読み解く必要がある。
もう一つ、前嶋氏は気がかりなことを指摘している。ウクライナ侵略を巡る停戦交渉でロシア寄りではないかと懸念の声が出ているが、同性愛者などに厳しい政策を採るロシアはトランプ支持者にとっては「文化戦争の同盟国」になっているというのだ。
「同盟国」とはオーバーな表現に思えるが、リベラリズムを嫌うとともに「力による平和」を希求するトランプ氏とプーチン大統領は“肌が合う”というのはあり得ることだ。トランプ政権が続く今後4年、日本が振り回され続けないためには、宗教と密接に関わる同氏の行動原理を理解することが不可欠である。