トップオピニオンメディアウォッチ新聞がテロ容認風土の醸成に手を貸すならば言論の自殺に直結する

新聞がテロ容認風土の醸成に手を貸すならば言論の自殺に直結する

立花氏襲撃小さ過ぎ

地下鉄サリン事件から30周年を迎えようというのに、新聞はかくもテロに甘いのか。そう思わせたのは「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が街頭演説中にナタで切り付けられ重傷を負ったテロ事件に対して、各紙の扱いが実に小さかったからだ。

朝日、読売、毎日はそろって社会面下段の2段見出し記事である(15日付)。朝日に至っては「ドキュメント2025 『財務省解体』SNSで拡大」の関連記事で済ませている。かろうじて産経が3段見出しで負傷後に演説する立花氏の写真も掲載していた。それでもこの程度である。「政治家がテロに遭う」のはそれほどニュースバリューがないものだろうか。

翌16日付各紙を見ると、この話題はほとんど載っていない。朝日が「『自殺報道見て殺意』 容疑者が供述」と追い掛けているが、これとて2段見出し。他紙には追跡記事すらない。立花氏ならテロもありなん、とでも思っているのか。紙面からそんな“本音”が浮き上がる。

そんな中、読売が16日付に「立花氏襲われる どんな言動にも暴力許されぬ」と題する社説を掲げ、こう言った。「立花氏の挑発的な言動が無用な対立を招き、暴力を呼び込んだ面があるのは否定できないだろう。そうだとしても、暴力による解決は絶対にあってはならない」

その上で「SNSを中心に、自分とは主義主張が合わない相手を罵倒し、異論に耳を傾けようとしない状況が生まれている。社会の分断を深める、危険な風潮である」とし、政治家に意見対立の調整力と「事実」に基づく議論を求め、「真偽不明の情報を拡散し、相手を否定するばかりでは、社会は混乱する一方だ」と結んでいる。同事件で社説を掲げたのは読売1紙だけだが(16日現在)、これとていささか的外れの感がする。

断固許さぬ矜持持て

テロ批判のはずがいつの間にか政治家の言動や言論の在り方へと話がそれているからだ。これでは見出しの「どんな言動にも暴力許されぬ」は掛け声倒れの誹(そし)りを免れない。おまけに「(立花氏の言動が)暴力を呼び込んだ面があるのは否定できない」とテロを肯定するかのような余計なことも言っている。この文言にも、立花氏ならさもありなんの思いがにじみ出ていて「断固としてテロを許すな」の意気込み、矜持(きょうじ)が感じられない。

安倍銃撃事件後、新聞とりわけ反安倍の左派紙はテロリストの「動機」に少なからず共鳴し、テロ批判よりも「教団批判」に力を注いだ。そんなテロ軽視の中で岸田文雄首相(当時)襲撃事件が発生した(2023年)。

先月、同事件に対する和歌山地裁判決があったが、これを論じる東京社説は北海道警の首相警備問題を俎上(そじょう)に載せ、「こうした『言論』への行きすぎた警察の対応も、民主主義を脅かす問題だ。警備とは『民主主義を守ること』だと改めて肝に銘じるべきだろう」(2月20日付)と警察をテロリストと同列に置いて説教を垂れていた。警察を萎縮させる論調で誰を喜ばせたいのか。まるでテロ容認社説だ。

誤解生む思想の濃淡

それだけではない。安倍事件後、北海道立高校の現職教諭が高市早苗氏ら国会議員4人に「安倍晋三の次はお前だ」などとの脅迫状を送り今年1月、警視庁に逮捕されたが、この事件も各紙の扱いは小さかった。3月に入って北海道教育委員会は同教諭を懲戒処分とした。これもほとんど報じられない。

こんなとき、「テロに厳しい」産経なら一言あるだろうと紙面を繰ったが、16日付主張は「死刑の世論調査 国民の制度支持は底堅い」について論じるのみだった。同世論調査は2月21日に公表されているから、言ってみれば1周遅れだ。産経もテロ批判に思想的濃淡をつけているのか。そんな誤解を生みかねない扱いである。

新聞がテロ容認風土の醸成に手を貸しているなら、それこそ言論の自殺である。

(増 記代司)

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