
読者視線感じられず
まるで紙面ジャックである。政治記者の座談会が何と3日連続、それも長文で載った。よほどネタがなかったのか、それとも社内の権力を握っているのか。よくも、こんな放談がまかり通ったものだ――。
このような感想を抱いたのは朝日7日付から9日付まで上・中・下で載った「2025年 政治の行方は」と題する記者座談会についてである。むろん朝日の勝手ではあるが、読者視線は感じられない。
(2025 政治の行方は:上)少数与党国会、自民党論、野党論
(2025 政治の行方は:中)民主主義の退潮、トランプ2.0の世界、SNSとポピュリズム
(2025 政治の行方は:下)渡辺恒雄氏の功罪、安倍氏との会食、ジャーナリズム
7日付リード文にはこうある。「昨年にも増して不透明感の強まりそうな2025年の政治。この1年の始まりに、政治取材の経験の長い曽我豪、佐藤武嗣、高橋純子の3編集委員が国内外の政治を縦横無尽に語る。…司会は、園田耕司・政治部次長」。縦横無尽とはまさに好き勝手、内輪の放談なのだ。
で、中身はどうか。曽我氏いわく、「(昨秋の総選挙で有権者は)官邸主導の『1強体制』ではなく、国会主導の権力分散状況を民意が選んだのかもしれない」。これに対して高橋氏は「民意が面白いと思うのは、一人ひとりが意図したわけではないが、集合無意識のような形でこうした結論になること」とし、「選挙制度をいじって無理やりにでも二大政党化するんだ、という1990年代の政治制度改革が裏切られている。やはり、民意をなめるな、ということだ」と述べている。
正面きって民意否定
こんな論議は総選挙後にもあった。それを蒸し返しているだけだ。それにしても「よく言うよ」と思う。この人たちはかつて民意を正面切って否定していたからだ。それは第2次安倍晋三政権の時である。安倍氏は2012年の総選挙で圧勝し政権を民主党から奪還、13年の参院選にも勝利し衆参の与野党ねじれを解消して安定政権を築いた。実に国政6連勝だった。この民意を「安倍1強」と称し、真っ向から否定したのが朝日の政治記者たちである。
当時の政治部長が曽我豪氏で「権力監視こそ新聞社の使命」と反権力を唱え、特定秘密保護法には「言論弾圧法」、安保法制には「戦争法」といったレッテルを貼って反対した。安倍氏が首相辞任を表明した際には「(首相在任7年8カ月の)この間、深く傷つけられた日本の民主主義を立て直す一歩としなければならない」と言ってのけた(20年8月29日付社説)。安倍政権下の民意を完全否定したのである。民意をなめているとはこのことだ。
佐藤氏は「(自民党内で)『石破降ろし』をやって、次の明確な軸があるかといえば、今名前が挙がっている人たちも結局、延命だけが目的で、権力を取って何をやるという明確なビジョンがあるようには見えない」と決めつけ、石破政権を後押しする。「SNSとポピュリズム」を俎上(そじょう)に載せた8日付では、高橋氏は「敵意をあおって自分たちの票にしていく」政治勢力を批判するが、この「敵意をあおって」こそ朝日の常套(じょうとう)手段。天に唾するとはこのことだろう。
なぜ、こんな独りよがりな放談が3日連続で載るのか。9日付でその謎が解けた。司会の園田氏が「曽我さんは今月末で退職する。1989年に政治部に来て以来、政治記者を取り巻く環境の変化をどう見るか」と、曽我氏に話を振っていたからだ。
食事で信頼棄損指摘
興味深いのは、持論を語る曽我氏に対して高橋氏が「(聞きたいのは)安倍政権のとき、首相動静に載る形で安倍晋三首相(当時)とご飯を食べていたことだ。権力者と一緒にご飯を食べることで朝日新聞への信頼を棄損した部分もある」とかみついていたことだ。一緒に飯も食うな、とは恐れ入った。「権力の監視者」の権化である曽我氏をもってしても生ぬるいというわけだ。朝日政治記者の“左振れ”の度合いが大いに知れた。
3日連続の座談会記事は曽我氏の退職へのはなむけの「お別れ放談会」だったわけか。果たしてどれだけの読者が読んだだろう。社内論理が全面に出た印象が拭えない。
(増 記代司)