トップオピニオンメディアウォッチ〝戦後〟に執着し「市民」旗印に政治の欺瞞に視点、共産勢力を煽る朝毎東

〝戦後〟に執着し「市民」旗印に政治の欺瞞に視点、共産勢力を煽る朝毎東

被爆から78回目を迎えた「原爆の日」で祈りを捧げる人々=2023年8月6日、広島県(UPI)
被爆から78回目を迎えた「原爆の日」で祈りを捧げる人々=2023年8月6日、広島県(UPI)

未知なる世界に突入

「もはや戦後ではない」。戦後80年の令和7(2025)年を迎え、国民の多くはそう感じているのではなかろうか。既存の国際秩序が大きく揺らぎ、世界が「未知なる時代」に突入するのは必至だ。国内も問題山積。どこから探っても「もはや戦後ではない」のが現実である。

この言葉はむろん、現在のものではない。終戦からわずか11年後の1956年に発表された経済白書の一節だ。主権回復(サンフランシスコ平和条約)から4年後のことで、戦災の傷痕は全国至る所に残っていた。同年12月の国連第11回総会で日本は全会一致で国連加盟を認められ、国際社会に再デビューした。だから「もはや戦後ではない」の言葉には、新しい日本を造ろうとする並々ならぬ決意が込められていた。

ところが、新年のリベラル紙に目を通して驚かされた。戦後80年を経てもいまだ「戦後」にしがみ付こうとしているからだ。東京の元旦社説「年のはじめに考える あわてない、あわてない」には「戦後よ続け、どこまでも」の小見出しがあった。毎日4日付オピニオン面には「『永遠の戦後』守る 新聞の役割」との栗原俊雄専門記者の一文が掲載されていた。「どこまでも」とか「永遠」とか、ぬるま湯よろしく戦後に浸っている感が拭えない。

産経は危機に備えよ

産経元旦付に外交評論家・宮家邦彦氏とニュースキャスター・反町理氏の対談が載っていたが、そこには「『戦間期』の終焉に備えよ」の見出しが躍っていた。そういう視点は東京も毎日も皆無に等しい。ロシアや中国、北朝鮮の動向には完全スルーで日本の政治を悪者に仕立て上げていた。

東京は「一番、怖いのは、やはり戦争です。防衛力増強の名の下、ここ数年でぐんとキナくさくなった感もあるわが国ですが、今年は終戦から80年の節目の年。この『戦後』をどこまでも続けていくには」と問い、与野党みんなで時間をかけて話し合えば「戦後」がどこまでも続くかのように論じている。おめでたい限りである。

毎日の栗原氏は「(戦前の)新聞は、事実上帝国政府の広報紙となり、戦争に加担した。だからこそ、新しい戦争を阻止しなければならない」との決意を披歴し、それには「戦争になったらどれくらいの被害が生じるのかを、政府に明らかにさせ」「政府のうそや欺まんを見逃さない」の2点が必要だとする。その矛先はもっぱら自国政府の「欺瞞(ぎまん)」に向けられている。新しい戦争は外国からやってくるかもしれないが、そんな恐れはこれっぽっちも感じていない様子で、ウクライナの教訓はどこ吹く風である。

極め付きは朝日だ。元日付社説「不確実さ増す時代に 政治を凝視し強い社会築く」は、「権力機構である『国家』」と「市民が成す『社会』」と書き、国家と市民(国民とは決して言わない)を対立物のように捉え、「『社会』の側が国家を監視し、足かせをはめる必要がある」と説く。引用するのは米経済学者の説だが、それを使ってマルクス流国家悪論を啓蒙(けいもう)しているかのようだ。

こんな一節もあった。「55年に自民党が誕生して以降、政治の暴走を危惧する市民が国会を包囲することはあった。とはいえ、なべて言えば投票日を除けば政治にさほど深く関与しない姿勢が一般化したといっていいだろう」

国民は政権に委ねる

「国会を包囲」とは60年安保闘争のことだろうが、「政治の暴走を危惧する市民」とは笑わせる。暴走したのは政治ではなく共産党・社会党系の共産主義勢力で朝日はその片棒を担いだ。なるほど共産主義者とそれに踊らされる人たちが「市民」と言うわけか。一般国民は国会を包囲せず、自ら選択した政権に政治を委ねた。それが「投票日を除けば政治にさほど深く関与しない」姿勢に現れているとみるべきではないのか。

リベラル各紙の戦後への執着は共産主義思想の所産のように思えてならない。

(増 記代司)

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