宗教宗派で権力配分
バチカンニュースに5日、興味深い解説記事が掲載されていた。フランスの中東専門家ピエール=ジャン・ルイザール氏がバチカンラジオとのインタビューに答え、「シリア、イラク、レバノンの3国は現在、類似した危機に直面している。『政治的宗派主義の危機』と総括することができるだろう。この宗派主義はこれら3国の建国時に遡(さかのぼ)るもので、多数派に対抗する形で少数派に依拠して成立した。…私たちは今日、フランスと英国の委任統治下でレバノンとイラクに設立された国家機関が崩壊していく様子を目撃している。アラブの春がこれら3国の多数派、つまりイラクのシーア派、シリアのスンニ派、そしてレバノンのシーア派を再燃させた。シリアで現在進行している出来事は単なる内戦の一時的なものではなく、地域全体で数十年にわたって維持されてきた政治モデルの崩壊だ」と分析していた。
ルイザール氏の分析が公表されてから3日後、シリアで54年間、独裁政治を行ってきたアサド政権が崩壊したのだ。反体制派のイスラム過激組織「シャーム解放機構」(HTS、旧ヌスラ戦線)が11月27日、武装蜂起を始めてから12日間しか経過していなかったが、アサド政権はほとんど抵抗らしいことを何もせずに崩壊し、アサド大統領とその家族はモスクワに逃避した。
ここで注目すべき点はルイザール氏が指摘していた中東全般に広がってきた「政治的宗派主義」だ。「政治的宗派主義」とは、宗教や宗派に基づいて政治的権力が配分されるシステムで、特定の宗教や宗派が政治的な意思決定や権力構造において特別な役割を持つ。その結果、一部の宗派が政治的・経済的に優遇される一方で、他の宗派は疎外されることが多いため、宗派間で緊張や対立が生まれやすい。
多数派による“逆襲”
シリアでは、アサド父子の独裁政権が「政治的宗派主義」に基づき、少数宗派のアラウィ派が1966年以降、国を統治し、多数派のスンニ派は政権の中核から追放されてきた。アサド政権崩壊で主要な役割を果たしたHTSはスンニ派の武装勢力だ。
ルイザール氏はシリアの現状について、「数十年にわたり権力から排除され抑圧されてきたスンニ派アラブの多数派の力のデモンストレーションだ。アサド政権の崩壊だけでなく、『政治的宗派主義の崩壊』につながる可能性がある」とみている。
問題は、「政治的宗派主義の終焉(しゅうえん)」は、多くの場合、一つの宗派や勢力が他を圧倒し、勝利者が政治の全権を掌握する状況に繋(つな)がりやすい。そして、敗北した宗派や勢力は社会的、政治的に周縁化されるか、最悪の場合、完全に排除される可能性が出てくる。イラクではサダム・フセイン政権(スンニ派主導)の崩壊後、シーア派が主導権を握った。これにより、スンニ派の政治的排除や社会的不満が高まり、紛争が激化した。アサド政権(アラウィ派主体)が反政府勢力(主にスンニ派)を弾圧した結果、過激派グループが台頭し、さらに宗派間の緊張が悪化した。すなわち「政治的宗派主義」が維持される限り、一つの宗派から他の宗派への権力が移動するだけで、平和や安定した国家が構築されることはないわけだ。
教えの非政治化急務
神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一神への信仰には潜在的な暴力性が内包されている」とし、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げる。そして「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化(政治と宗教の分離)を実施してきた。イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトが急務だ」と主張している。
シリアで10日、反体制派が2017年に創設した「シリア救国政府」が暫定政権を担い、救国政府のリーダー、ムハマド・バシル氏が暫定首相となることで反体制派関係者は合意した。アサド政権崩壊をもたらしたHTSの指導者ジャウラニ氏が9日、アサド政権で首相を務めたジャラリ氏との間で権力移譲で合意した。反体制派の暫定政権がシリア国民を結合し、民主政権を構築できるか否かは、「政治的宗派主義」を克服できるか否かに懸かっている、とも言える。(小川 敏)