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議論となった独立記念館長の座

背景に建国時点巡る歴史論争

「統治時代、国籍は日本だった」発言でその資質が問われている独立記念館の金亨錫(キム・ヒョンソク)館長が議論の的になっている。この裏には与野党の、言い換えれば保守と左派の陣営対決があり、さらには建国時点を巡る歴史論争がある。

この対立はついに韓国の植民地解放を祝う「光復節」(8月15日)に“独立運動家の子孫・遺族らでつくる”「光復会」(李鍾讚(イ・ジョンチャン)会長)が反発して参加せず、別に会合を開く事態にまでなった。月刊朝鮮(10月号)が金亨錫館長をインタビューして、その背景をまとめている。

まず、光復会など左派が何に反発しているのかだが、李会長は金館長の「日本籍」発言を捉えて「親日派」「ニューライト極右」と批判した。これは単なる批判ではなく、同誌によれば「世論戦を仕掛けて、独立記念館館長の席をもって、いきなり建国節制定問題を引き出した」ということだ。

保守と左派は建国の時期について対立している。大韓民国は1948年、李承晩(イ・スンマン)氏を大統領に選出して独立したというのが韓国政府の公式見解だが、一方で左派は19年、金九(キム・グ)らによってつくられた「上海臨時政府」をもって起点とする、つまり、日韓併合を認めず、独立した政府があって日本と戦っていたという解釈だ。従って金館長の「日本籍」発言は絶対に許容できるものではない。

しかし、金館長が言われるほどの「極右」なのかというと、どうもそうではなさそうだ。同誌は「現代史を専門とする保守指向の歴史学者で社団法人大韓民国歴史と未来財団理事長」を務めた「誠実で篤(あつ)いクリスチャン歴史学者として知られている」と紹介する。そして「左右理念の片方で歴史を裁断せず、“国民統合のため新しいパラダイムと歴史認識”を強調」すると評価した。金館長には「終わらなければならない歴史戦争」などの著書がある。

また同誌は意外なエピソードを紹介している。金館長と李鍾讚光復会会長との関係だ。李会長は金氏を「会ってみた独立運動史研究者の中でピカ一だ」と絶賛したというのだ。金館長は李会長の祖父で独立運動家だった李会榮(イ・フェヨン)(1867~1932年)を「大韓民国を輝かせたキリスト教徒120人」で取り上げていた。

金氏が館長に任命される前に両者が会った席で、李会長は聞いている。「日帝時代、われわれ国民の国籍はどこか」と。これに対して金館長は「当時、私たちの国籍は日本ですね」とし、続けて「それで私たちが滅びた国を取り戻すために独立運動をしたのです」と答えた。この前半部分だけを切り取って批判されたわけで、しかも、その批判の矛先は館長を任命した政府に当てられた。

政府批判の背景には歴史論争もあるが、もっと泥臭い低次元の人事への不満があったと同誌は暴露している。金氏に対して「周囲の人々が『金九の孫が独立記念館館長に志願したというが、あなたのような無名の人物がどうして指名されるのか。何か大統領と特別な関係でもあるのか』と聞いてきた」というのだ。

金館長は「光復会らは過去を見て問うが、自分は未来を見て、今は人の入らなくなった独立記念館の将来を考えている」と述べる。韓国人が見向かなくなった独立記念館の将来をこそ考えるべきだと同誌は指摘する。もっともな話である。いまだに歴史論争に囚(とら)われる韓国の実像だ。

(岩崎 哲)

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