「戒厳令」“怪談”で政府牽制
政治的目的で悪質なデマを流布
「韓国に戒厳令が敷かれる」?。1980年代の軍事政権時代ならいざ知らず、Kカルチャーが世界に広まり、文民政府(「文民」という言葉さえ奇異に聞こえる)となって久しい韓国で、都心に戦車や重武装した兵士が立ち並ぶ光景は想像し難いのだが、一体どういうことなのか。
昨年公開され、1300万人動員を達成した映画「ソウルの春」を見て、戒厳令がまた身近に感じられるようにでもなったのだろうか。同映画は1979年12月の「粛軍クーデター」(12・12事態)を題材にし、同年10月の朴正熙大統領暗殺から全斗煥保安司令官らが実権を握っていく過程を描いている。文在寅政権下で過去の事件をもっぱら左派の視点で捉え直した映画が作られたが、これはその集大成と言っていい。
ならば、戒厳令説は同映画に触発されて言われだしたものかといえば、そうではない。韓国民はそれほど短絡的ではない。これは野党が政府与党を牽制(けんせい)するために“言い触らした”言説である。
曰(いわ)く、「尹錫悦が政治的危機を抜け出そうと戒厳令を下すだろう」「野党議員らを皆捕まえて、国会が戒厳解除決議をできなくする」「戒厳時、文在寅、李在明らを“粛清対象”に」と野党共に民主党の李在明代表はじめ幹部らが触れ回っているのだ。
実は、野党にはこうして極端なデマを飛ばしてまで避けなければならない“危機的状況”に直面している。李代表は知事時代の不動産疑惑や北朝鮮への不正送金で訴追されて2年が経(た)ち、判決が間近だ。さらに、文在寅前大統領も収賄容疑で捜索を受ける事態になった。この劣勢への対抗措置として「戒厳令」説を打ち出して、政府を牽制しているというわけだ。
もちろん国民が信じるわけがない。「野党の悪あがき」「野党が繰り出す怪談だ」と冷ややかに見る視線が大部分だ。ここで言う「怪談」は危機を煽(あお)る悪質なデマのことで、韓国ではことあるごとに出てきて国民を惑わしてきた。月刊朝鮮(10月号)が「民主党の“国民扇動”黒歴史」でその事情を書いている。
まず想起されるのが2008年、李明博政権誕生後に襲った「狂牛病騒動」である。この時、野党は「米国産の牛肉を食べると狂牛病に罹(かか)る」として、ソウルのみならず全国の主要都市で反政府集会を開き、デモを行って政府を揺さぶった。「韓国人の遺伝子構造が脆弱(ぜいじゃく)で95%が狂牛病に罹る」という珍説まで飛び出した。過ぎてみれば、誰一人狂牛病に罹った者はおらず、米国産牛肉は普通に消費されている。
同誌は「これまでに民主党(など左派野党)は自分たちの政治的目的を達成するために根拠が貧弱な主張を持続的に流布した」として、「保守政権時に、▲天安艦陰謀説(2010年)▲韓米自由貿易協定怪談(11年)▲セウォル号沈没事故陰謀説(14年)▲THAAD(高高度防衛ミサイル)怪談(16年)▲朴槿恵大統領弾劾時の各種怪談(17年)▲福島原発処理水放出時の怪談(23年)と対国民宣伝・扇動を行ってきた」と列挙した。
THAADは北朝鮮のミサイルに対抗した迎撃兵器だが、左派はこの配備に反対し、「レーダーの電磁波のせいで星州(配備地)住民の5分の1の1万人余りが栽培するマクワウリが“電子レンジマクワウリ”になって売れなくなる」「住民の健康を害する」として反対した。ミサイルを捉えるためのレーダーは住居地に向けても意味がない。上空に照射されるものだし、距離も十分に離れている。なのに「人体に致命的な影響を与える」と野党議員はSNSなどで扇動しまくった。
これらを扇動する野党は本気に信じているのかと言えば、そうでもないらしい。福島処理水放出の時、反対集会のその足で李在明氏ら野党幹部は海鮮料理屋に入り、「刺し身をおいしく食べた」とSNSにアップしたというのだから、彼らの“本気度”が知れる。
扇動に乗る韓国民も同調圧力に弱く、その場で反対する勇気はないが、すぐに運動の熱は冷めるから、冷静さを取り戻す。野党が政治的目的でデマを流していることを知っているからだ。それならば、同誌をはじめとして保守的なメディアは最初から冷静な報道をしてもいいだろうに、それはできないというのも、如何(いか)にも韓国的ということか。
(岩崎 哲)