「故事」想起する批判
新聞が右も左も足並みを揃えて「豹変(ひょうへん)」を唱えたことがある。2009年8月の総選挙で野党・民主党が政権を奪取した際、朝日は「賢く豹変する勇気も」(同8月31日付社説)、産経は「君子の豹変を希望する」(同9月3日付・湯浅博東京特派員)と豹変の二文字を躍らせた。「最低でも県外」(沖縄・普天間基地移転)や高速道路無料化など、あまりにも非現実的な公約を掲げていたからだ。
この“故事”を想起させたのは、自民党の「党内野党」と称された石破茂氏が総裁、首相の座に就くと、「豹変コール」が湧き起こったからだ。野党が与党に取って代わろうとすれば、「変化」を掲げないと大義がない。それで石破氏も違いを大いに見せたかったのだろう。その一つが持論のアジア版NATO(北大西洋条約機構)構想だが、批判が突き付けられた。
新聞いわく、「地に足着いた議論足りぬ」(毎日9月25日付社説)、「同盟を混乱させかねない発信」(読売1日付社説)、「持論ではすまされない」(朝日3日付社説)と一斉に豹変せよと迫ったのである。
朝日は石破氏の持論をこう要約した。「中国を抑止するために、北大西洋条約機構(NATO)のアジア版をつくり、中国、ロシア、北朝鮮の核兵器に対する抑止力の確保に向け、米国との核兵器の共有や、この地域への核兵器の持ち込みも検討する―」
手のひら返しの各紙
これは安倍路線に通じる高邁(こうまい)な目標ではないかと筆者はひそかに期待していた。それで産経ぐらいは「その志は良し」とでも言うかと思ったが、「取り下げた方がよい」(2日付主張)とにべもない。確かにアジア版NATOは非現実的だが、「核兵器共有・持ち込み」については大いに論議を進めていくべきではないのか。それが各紙揃って、とりわけ保守紙がスルーしているのは頂けない。
それはさておき、経済政策を巡っては石破氏の「追加利上げ容認」発言が警戒され、「市場『首相の変節』注視」(産経4日付)と、ここでも豹変が期待されている。国政を担えば持論ばかりを唱えているわけにはいかない。米国で変化を謳(うた)い文句に政権奪取を遂げたオバマ大統領は就任後直ちに「選挙モード」を「統治モード」に転換したことで知られる。石破氏も首相の座に就くと統治モードへと切り替えたようで(切り替えざるを得なかった?)、大筋から言えば岸田文雄前政権のそれとさほど変わらない。
それならば、石破首相の「豹変」を新聞はどう評価するのか。各紙5日付を見ると、国会での所信表明に対して左派紙は「石破カラーどこへ」(朝日)、「『石破カラー』封印」(毎日)と手のひら返しの批判大合唱で、社説では「『納得と共感』に程遠い」(朝日)「目指す国家像が見えない」(毎日)と袋だたきだ。とりわけ朝日は旧統一教会問題に固執し12行も割いている。(他紙の社説には一字もないが)
保守層の思いを代弁
確かに所信表明の印象は「石破首相の構想と決意が伝わってこない」(日経)が、それでも保守紙は豹変を評価する。読売は「現実路線を重視した安保政策」とし、産経は「政策の修正は歓迎するが」と留保条件を付けてはいるが、「安倍晋三元首相が提唱した『自由で開かれたインド太平洋』構想を踏襲したのも正しい。防衛力の抜本的強化の熱意と具体策を今後聞きたい」と、保守層の思いを代弁している。
さて、豹変について冒頭に記した民主党政権誕生時に日経がこう記している。「君子豹変は、節操なく態度を変える意味で使われがちだが、本来は違う。広辞苑によれば、出典は易経であり『君子は過ちがあればすみやかにそれを改め、鮮やかに面目を一新する』とある」。(09年9月2日付)
石破首相の豹変は「鮮やかに面目を一新」したとは言い難いが、批判にさらされるほどの変化ではあるまい。豹変を唱えた左派紙の豹変の方がよほど醜い。
(増 記代司)