袴田さんを死刑判決に追いやった報道機関の「殺意」と開き直った朝日、「旧統一教会」報道との違いは

裁判所のイメージ(Image by Daniel Bone from Pixabay)
裁判所のイメージ(Image by Daniel Bone from Pixabay)

恐るべき「冤罪事件」

「袴田さん再審無罪 人生壊した責任は重大だ」「取り返せない司法の過ち」―。静岡県で味噌(みそ)製造会社の専務一家4人が殺害された事件(1966年6月)で死刑が確定した袴田巌さんの再審判決で、静岡地裁は無罪を言い渡した(各紙9月27日付、以下も同日付)。逮捕から58年、恐るべき「冤罪(えんざい)事件」だ。

判決を受け新聞は「『三つの捏造』捜査断罪 5点の衣類・押収物否定 『自白を強要 非人道的』」(朝日)などと一斉に捜査当局を指弾した。再審開始決定は捏造(ねつぞう)の可能性に言及しただけだが、今回は「証拠捏造」と断じている。とすれば、捏造は誤逮捕・起訴の責任を逃れる「保身」からか。袴田さんを死刑に追いやる「殺意」も問われはしないか。そんな思いも抱く。

事件当時、大半の国民は袴田さんを「極悪人」と信じて疑わなかった。メディアの報道を鵜呑(うの)みにしたからだ。その報道を振り返り朝日は「『いつ』逮捕か、競い合い取材」し、「逮捕前から本人特定し報道」していたと、こう書く。

「事件発生の数日後から『従業員「H」浮かぶ』(66年7月4日毎日夕刊)など、県警による事情聴取を報道。逮捕の際は、『身持くずした元ボクサー』(朝日夕刊)、『不敵なうす笑い』(毎日夕刊)などの見出しで伝えた。袴田さんの取り調べでの様子は、『だんまり戦術』『ついに自供』などと表現された」

人権侵害わびた毎日

毎日は自らの紙面の検証記事を載せた。「袴田さんが『自白』に転じたことを伝えた(66年)9月7日朝刊も『全力捜査がついに犯罪史上まれな残忍な袴田をくだしたわけで、慎重なねばり捜査の勝利だった』と、捜査当局と一体化したような書きぶりだった」とし、坂口佳代編集局長名で「人権侵害をおわびします」と謝罪した。

ところが、朝日は開き直ったかのように「朝日新聞の現在の指針では、捜査当局による情報は断定的に書かない▽容疑者・弁護側の主張、反論をきちんと扱う――などと定める」と胸を張っている。これには「よく言うよ」と呆(あき)れてしまった。

旧統一教会報道がそうである。同報道では教団と民事訴訟を争う「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の情報を「断定的」に報じ、教団側の主張、反論はろくに扱わず、全国弁連と一体化したかのような書きぶりで、教団に「反社」のレッテルを貼り「極悪人」と印象付けた。

それだけでなく冤罪事件で見られた「保身」「証拠捏造」「殺意」もウリ二つだ。報道に浮足立った岸田文雄首相は「世論対策」すなわち保身のために教団決別宣言を行い(22年8月31日)、「民法は含まない」とされていた宗教法人の解散請求要件を突如、「含む」と解釈変更した(同10月19日)。

教団への偏った報道

それを受け文科省は「裁判所に請求を認めてもらうには、分厚い証拠」が必要だとして「新たな材料集め」に狂奔、「民事訴訟になっていない事例も含めて…『100人以上からヒアリングを』。政府関係者によると、そうした目安のもと聞き取りが行われた」(朝日24年7月9日付)。証拠の「後付け」である。冤罪事件での、味噌タンクから1年後に発見された「衣服の証拠」と、どこが違うのか。

宗教法人審議会委員によれば、「解散命令は宗教法人に対する死刑宣告」である(毎日22年10月11日付)。教団は袴田さんと同様に「死刑」を突き付けられようとしている。凄(すさ)まじい「殺意」である。

前述の朝日記事で立命館大の渕野貴生教授は「捜査機関からの伝聞に偏った報道は、今もなくなってはいない。報道機関は、報道によって公平な裁判を受ける権利が侵害される可能性があると自覚する必要がある」と指摘している。

偏った報道は教団報道にも当てはまる。冒頭の文言は毎日と朝日の社説タイトルだ。「人生壊した責任は重大」「取り返せない過ち」は両紙にそっくり返さねばなるまい。

(増 記代司)

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