
止めることができる
英誌「エコノミスト」元編集長のビル・エモット氏は、米中戦争のリスクについて新刊を執筆するために、この1年間、第3次大戦を止めるにはどうすればよいのか、考え続けてきたという。その日本語訳が最近、出版されたと毎日11日付のコラム欄「時代の風」で報告している。(ちなみにそれは『第三次世界大戦をいかに止めるべきか 台湾有事のリスクと日本が果たすべき役割』扶桑社)
8月の新聞には戦争について論じる記事が多いが、1年間、考え続けてきたというので興味を引かれた。結論から言うと、止めることができる。それは「指導者の心理を動かす」ことである。このことをロシアのウクライナ侵攻から学ぶべきだ、とエモット氏はこう指摘する。
ロシアのプーチン大統領が次の2点を認識していれば、侵攻を思い留(とど)まったのではないか。その一つは、ウクライナ軍が非常に強力で侵攻に膨大な費用と時間がかかると認識した場合、もう一つは米国や北大西洋条約機構(NATO)の軍がウクライナを支援するため参戦すると確信していた場合である。
重要なのは指導者の心理だ。台湾侵攻は中国の指導者が決断したら止められない。だが、ウクライナの教訓が示したように、決断は二つの方法で阻止できる」
抑止力の重要性示す
最も重要なのは、中国の指導者に台湾を攻撃すれば米軍や他の同盟国の軍とも戦うことになると確信させること。そして台湾侵攻が容易だと中国が判断しないよう、台湾周辺の米軍基地や日本、フィリピン、韓国の防衛力を示す、継続的な軍備増強が重要である。エモット氏が1年間、考え続けた結論はこうである。
「『平和を望むなら、戦いに備えよ』。ローマ帝国の格言は、悲しいが真実だ。指導者の決断は、戦争の備えがあるかにかかっているからだ」
これを一言でいえば、「抑止力」ということだろう。エモット氏に限らず、戦争を止めることを考え続ける人は、おのずからこの結論に至るのではないか。これは第2次大戦の教訓でもあったはずだ。米政治学者のジョセフ・ナイ氏はこう述べている。
「戦間期の大いなる皮肉の一つは、1920年代に西洋諸国がドイツに融和すべき時に対決姿勢をとり、1930年代にはドイツと対立すべき時に融和政策をとったことである」(『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)
ヒトラーをして第2次大戦の引き金を引かせたのは当時の英首相チェンバレンの融和政策で、これをヒトラーは英国が大陸に干渉しないメッセージと受け取り戦火を開いた。この教訓を学べば、おのずから抑止力の重要性が浮かび上がる。ナイ氏の言う「対立」とはそのことを指す。
フェミニズムを礼賛
ところが、毎日の論説陣はどうやら異次元の世界に住んでいるらしい。16日付社説「’24平和考 終戦の日 暴力許さぬ世界の構築を」には抑止力のよの字も出てこない。言ってみれば「お花畑社説」である。現在の世界情勢を「強まる『戦間期』の様相」と言いながら、そこから見いだせた教訓について一言も触れないのである。
抑止力の代わりに登場するのは、「暴力を拒否するフェミニズム運動は平和運動と親和性が高い」とか「女性議員を増やし、声を政治に反映させる。少数派の権利が守られ、誰もが安心して暮らせる包摂的な民主社会を作る。『戦争を起こさない』ための第一歩である」といったフェミニズム礼賛言説である。エモット氏の「平和を望むなら、戦いに備えよ」の訴えは見事なまでに葬り去られた。
「女の園」の宝塚歌劇団でも陰惨ないじめ事件は起こる。それを女性が活躍すれば即、平和!? 何という能天気な社説だろうか。毎日論説陣よ、どうすれば戦争を止めることができるか、1年間、考え続けてみよ。戦後80年にもこんなお花畑社説を載せるようでは毎日に未来はない。
(増 記代司)