憲法を金科玉条としてきながら「魔女狩り」を続ける朝日の歴史的変節

警察のイメージ(Image by Max from Pixabay)
警察のイメージ(Image by Max from Pixabay)

朝日流護憲論の連載

「憲法を考える」。このタイトルを冠した特集が月1回、朝日の紙面を飾る。いつ頃から始まったのか、朝日デジタル版には2019年9月からの57回分が載っているが、もっと以前からあり、なかなかの長期連載である。むろん朝日流の護憲論で、ほぼ毎回、政府・自民党を痛烈に批判するのが特徴である。

直近は7月30日付で「安全と自由」をテーマに「安保関連・『共謀罪』…次々立法 偏り自民」と、安倍晋三政権以来の安保政策によって自由が縛られていると論じる。国民の権利、個人の自由…、それを守るのが「権力の監視人」である朝日のお仕事。そう思わせる筋金入りの連載だ。

自民党の改憲草案(12年)には集中砲火を浴びせた。16年4月1日付から約25回に渡って「憲法を考える 自民改憲草案」と題する連載を組み、同14日付の「公の秩序・下」では「少数派を守るのが立憲主義」との見出しで、「世の中には、社会に迷惑をかけてでも、守らなければならないものがある」と、こう息巻いた。

「例えば、デモ。石破茂・地方創生相はかつて、特定秘密保護法反対デモをテロに例え批判を浴びたが、うるさくても、交通の邪魔になっても、議会制民主主義を補完する、主権者に認められた大事な手段だ。…歴史は教える。憲法を真に必要とするのは、多数派に異論を唱えたり、社会的に少数派だったり、要は『変人』だということを」

その上で、「憲法の教科書のページをめくれば、自らの尊厳や権利を守るために裁判で闘ってきた人がいて、幾多の判例の積み重ねが、単なる文字の羅列に過ぎなかった憲法に内実を与え、その蓄積の上に、私たちが立っていることに気づかされる」と、自民党にこのことに気づけと迫る。こんな具合に「国家権力の横暴」、ことに自民党政権を批判し、「変人」を守るために奮闘してきたのが朝日なのである。

「ゲシュタポ」と化す

ところが、である。安倍晋三元首相銃撃事件を巡って岸田文雄首相(自民党総裁)が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との「決別宣言」を発すると(22年8月31日)、一転して自民党の「ゲシュタポ」(ナチスドイツの秘密警察)と化し、ユダヤ人狩りを思わせる「教団狩り」に狂奔した(例えば、本紙同年9月2日付「朝日新聞が“密告”促すアンケート 全国の都道府県議に 『まるで魔女狩り』」)。朝日は葵の印籠よろしく「宣言」をかざし自民党議員に決別を迫ったのである。

朝日7月10日付「深流 安倍氏銃撃から2年 中」は「『決別』宣言の自民 県議は『友人として…』 教団関係者、なお後援会に」と団体どころか個人との関わりまで追及している。取り上げたのは前記アンケートで「接点を認めた議員の割合が41・3%(19人)と最も高い」岐阜で、「あらためて今年6月にアンケートすると、15人が関係を『見直した』と答えた。残り4人のうち今も現職の2人からは回答が得られなかった」と、再びアンケートで懲りずに「魔女狩り」を続けている。

「検閲」に等しい行為

朝日には釈迦(しゃか)に説法(のはず)だが、憲法には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(19条)「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」(20条)とある。その自由には信仰について沈黙する自由も含まれる。さらに自由を守るため「検閲は、これをしてはならない」(21条2項)と念を押す。政治家に後援者の信仰の有無を問うのは自由を侵害するばかりか、「検閲」(調べあらためる=広辞苑)に等しい(本紙連載「脅かされる信教の自由 第2部 地方議会への波及」7月10~26日付参照)。

ここには「国家権力の監視」の視点も「国民の自由」の視点も存在しない。憲法を金科玉条としてきた朝日は、ついに自民党総裁の「宣言」を金科玉条とするに至ったのである。まさに歴史的変節である。世の護憲学者よ、何とか言いたまえ。

(増 記代司)

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