動機に同調する空気
トランプ前米大統領暗殺未遂事件はテロにどう臨むのか、メディアの姿勢も問われた。米メディアでテロ犯に同調する論調は今のところ、見受けられない。政治分裂がいくら深刻でもテロは断じて許さない。それが自由民主主義国のメディアの矜持(きょうじ)だろう。
翻って日本の新聞はどうか。安倍晋三元首相暗殺2年目の7月8日は都知事選の開票結果で紙面が埋め尽くされた。それは仕方ないにしても、9日以前にも以降にも、産経を除いてテロを俎上(そじょう)に載せた新聞は皆無に等しい。テロ行為を指弾し対策を問う論調は消え失せている。大半の新聞は安倍氏に哀悼の意も表しない。それどころかテロ犯の“動機”に同調するかのような「空気」を醸し出している。
朝日の連載「深流 安倍氏銃撃から2年」(9~11日)はタイトルに「銃撃」があってもテロ批判はまったくない(先週の本欄参照)。毎日は9日付社会面に宗教2世問題を取り上げる。このタイトルにも「安倍元首相銃撃2年」とあるが、銃撃は完全黙殺だ。
極め付きは宗教2世に実施したアンケートを配信した共同通信である。筆者が目にした福島県の県紙、福島民友はこれを7日付に「宗教2世、国の救済『十分』8% 親族から虐待89%」とのセンセーショナルな見出しで報じている。だが、アンケートなるものが、とんだ食わせ物だった。
「宗教2世」の支援などを行う5団体と弁護士1人を通じて行ったもので、回答したのは10~60代の2世や3世計120人。宗教団体はエホバの証人57人、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)36人、創価学会11人、誠成公倫2人、霊友会1人、オウム真理教1人、崇教真光1人、天理教1人、その他5人。思わず、それっきりですか、と言いたくなる数である。
ごく一部の主観反映
これら宗教団体の2世は百万人を下るまい。なにせ創価学会は827万世帯、天理教は120万人の信者がいるとされる。古い教団なら信者の大半は2世以降の世代だろう。そのごく一部、それも「支援団体」や弁護士と関わる(訴訟などを行っているのか)、そんな人物の主観をもって宗教2世全体を被害者のごとく描く。これは形を変えた宗教弾圧を思わせる。
メディアは安倍元首相の銃撃事件から銃撃すなわちテロを取り外し、安倍氏の死をどうでもよいかのように軽く扱い、もっぱらテロ犯の「意向」に沿って報じ続けているかのようだ。これではテロ容認社会を招き入れかねない。
こうした報道姿勢に産経が警鐘を鳴らしている。9日付から「新テロ時代 二律背反」と題する5回連載の企画記事を組み、安倍銃撃事件と5年前にニュージーランドのモスク(イスラム教礼拝所)で起こった銃乱射事件を取り上げる。いずれも世間を震撼(しんかん)させたテロのローンオフェンダー(単独の攻撃者)だが、報道のされ方はまるで違っている。
犯人に名を与えない
産経によれば、ニュージーランドでは当時のアーダーン首相は議会で、銃撃犯の名前を今後一切口にしないと宣言した。「犯人の目的の一つが悪名を世に知らしめることだ。私は今後一切、男の名前を口にしない。犯人の名前ではなく、犠牲者の名前を語ってください。犯人に名前など与えてはいけない」。同国の著名なジャーナリスト、ガウワー氏は自身の以前の報道でテロリストを助長させたと反省し、報道自粛を呼び掛けた。「報道で重要なのはまず被害者。被害者がどう考えているかを伝える必要がある。2番目は同種犯罪が起きないよう原因を究明すること。そして最後に心掛けるべきは、メディアが犯人やその考えを肯定するようなプラットフォームになってはならないということだ」。産経記事は示唆に富む。
ニュージーランドのメディアはテロと戦い、一方、日本はテロに甘い(岸田文雄首相の姿勢もアーダーン氏とは対照的だ)。トランプ氏暗殺未遂事件は日本のメディアの問題点も浮き彫りにした。
(増 記代司)