トップオピニオンメディアウォッチ自民党は今でも「保守政党」か? 反共消えポピュリズムに

自民党は今でも「保守政党」か? 反共消えポピュリズムに

「宏池会と語る会」で挨拶する岸田文雄首相 =2022年5月18日午後、東京港区
「宏池会と語る会」で挨拶する岸田文雄首相 =2022年5月18日午後、東京港区

安倍氏暗殺事件で歯止め失う

安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから2年が経(た)った。「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」というメッセージを発信し続けた稀代(きだい)の保守政治家を失い、そこに派閥パーティー収入不記載事件が重なり、自民党は結党以来の危機を迎えている。

くしくも来年11月には「保守合同」によって党が誕生してから70年の節目を迎える。「解体的な出直し」(岸田文雄首相)を模索する今こそ、「反共」「日本らしい日本の確立」という党の原点に立ち返って“新しい自民党”の姿を描き出すべきだろう。

自民党のあるべき姿を模索する上で、格好の論壇誌がある。「『危機』と対峙する保守思想誌」を標榜(ひょうぼう)する隔月発行の「クライテリオン」(判断などの基準の意味)。その7月号が「自民党は『保守政党』なのか?」と銘打った特集を組んでいる。

表現者クライテリオン2024年7月号 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
特集 自民党は「保守政党なのか」?戦後政治を超克するために

自民党が民主党に政権を渡した時の2010年綱領で、「国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したい」と、「保守政党」を高らかに謳(うた)っている。保守主義とは何かと言えば、「時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求める」政治姿勢のことだというが、吉田茂、池田勇人そして岸田文雄に続く宏池会(事実上解散)が「保守本流」と言われながら、実際は経済優先で憲法改正に消極的なリベラルで、何を“保守”しようとしてきたのかが不明だった。この一点だけ見ても自民党の保守主義の曖昧さがうかがい知ることができよう。

特集の一つとして行われた対談「日本において『保守政治』は可能か?」の中で、京都大学大学院教授で同誌編集長の藤井聡は「現在の自民党は、本来の『保守思想』や『保守政治』からかけ離れた新自由主義に親和的であるという大きな特徴があり、同時に、単なる現実主義という範囲を大きく逸脱した『対米従属』路線の影響が強く、これで果たして『保守政党』なのか」と、疑問を投げ掛けているが、本音では「保守政党でない」と言いたいのだ。

一方、京都大学准教授の柴山桂太は、戦後憲法の下で経済成長を目指してきた宏池会に「保守主義」の理念があったかということに関して「怪しい」としながら、保守主義を考える上で興味深い指摘を行っている。ヨーロッパの保守主義に明確な軸が三つあるという。

その一つ目は、保守主義者が必ずキリスト教徒だということ。政教分離の原則は日本では誤解されていて「本来の意味は教会権力が政治権力にタッチしないという意味であって、政治家の信仰を禁じているわけではなく、特に保守政党は伝統宗教と親和的」と指摘する。宗教は道徳規範の源泉ということが保守派の基本認識であるとともに、柴山は触れなかったが、キリスト教徒であるヨーロッパの保守主義者は必然的に共産主義や独裁に対する危機意識が高い。

二つ目は家族を単位とする相続財産を重視すること。19世紀初頭は土地財産を持つ上流階級のイデオロギーだったが、その後「中間層や貧困層にも家族財産を保障して、安定した社会を作ろうという考え方」になっている。

三つ目は「憲法」。この場合は狭義の意味ではなく「歴史的に形成されてきた国柄、国体のことであり、それを擁護するのが『保守』だ、となる」。これを日本に当てはめて考えていくと、「自民党は『保守政党』なのか?」と問い掛けながらも、実際は自民党は保守政党ではないと言わんとする特集の狙いが明確となる。

まず一つ目のキリスト教、つまり宗教について見てみよう。

自民党幹事長、衆議院議長などを務めた保守政治家で3年前に引退した伊吹文明は藤井との対談「自由と民主だけでは『保守政党』にあらず」の中で、「自民党が『保守政党』であるとは思っていません」と断言する。10年綱領で、「保守政党」と書いたのは「無駄さえ省けば何でもできる」などと、言葉の武器を使い「ポピュリズム的リベラル色が強かった」民主党への「アンチテーゼ」を提示しなければならなかったからで、本当に保守政党を目指したのではないと解説する。

柴山はヨーロッパの保守主義者は必ずキリスト教徒だと述べたが、伊吹は日本における道徳規範の源泉は「お天道様」だという。「社会の秩序は法律や刑罰で護られているように思うが、それ以上に大切なのは『暗黙の約束ごと』、伝統的規範です。人間が迷った時は、一度『伝統的規範に立ち戻ってみる』、これが『保守』の肝で、お天道様です」と強調する。

だが、戦後、欧米流の個人主義が社会に広がり、宗教的感性を大事にする政治家が少なくなり、自民党の中でもリベラルな思想を持った政治家が増えている。ただ、東西冷戦を引きずっていたある時期までは「『共産』対『非共産』、社会主義対自由と民主主義という意味で自民党には対立軸の相手がしっかりとあった」ので、辛うじて党のアイデンティティーを保っていたと言える。

だが、その対立軸は、保守もリベラルも存在する党をまとめるほどの役割は機能しなくなり、しかも安倍氏暗殺事件で保守政治を牽引(けんいん)してきた政治家を失えば、自民党は理念のカオス化に陥るのが必然ということになろう。

そして、現在の政治状況について、伊吹は「政府の介入を積極的にやっていく政党と、『世間様』をきっちりと働かせながら民主導でやり、公的な関与はできるだけ少なくという政党の違いになってくる。自民党はこの両方が混在し、小選挙区制の下で世論を意識しすぎると、保守よりもリベラルに流れやすい」と指摘する。つまり、東西冷戦後、反共意識が弱まったことに小選挙区制が重なり、自民党はポピュリズムに陥ってしまったと分析できる。

二つ目の家族については、詳しく論ずる紙幅はないが、LBGT理解増進法は、伝統的な家族形態を重視する保守思想とは相いれない。同法の成立で、保守層の自民離れが加速したのも当然で、それを分かりやすい形で示したのが今年春に行われた衆院東京15区補欠選挙だった。同法の成立がきっかけとなって設立された「日本保守党」の候補は当選しなかったとはいえ、小池百合子都知事が擁立し、しかも知名度のある乙武洋匡を上回る票を集めて存在感を示した。

三つ目の憲法については、前述の柴山は「戦後憲法は日本の国体の連続性を意図的に断絶させるために作られているので」、保守合同初期には岸信介はじめ保守系の政治家は自主憲法制定を訴えていたが、「日本の国体を十全に表す憲法」を制定するのは現実的には不可能で、「その限界を踏まえた上でいうと、戦後日本で保守主義の政党を作るのは難しい試みだった」と結論付けている。

最後に、民主主義に重要な役割を果たすメディアの問題を指摘しよう。伊吹は語る。「最近テレビに出てこられる先生は、しっかりとした思想や哲学を主張せず、世論の雰囲気に合わせる方が多いですね」。テレビをはじめとしたマスコミは世論に迎合する政治家を好んで出演させることを指摘したのだ。

政治家、有権者、メディアの相互作用によって民主主義は動く。自民党から保守思想が消えてカオス化する政治状況は、安倍元首相暗殺事件以降、負の相互作用を抑制させる保守政治家が存在しなくなったことを示している。この現実を直視すると、自民党の「解体的な出直し」には悲観的にならざるを得ない。(敬称略)

(森田 清策)

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